2021年5月12日水曜日

近江町市場300年 歴史ギャラリー

今回は、 近江町市場の300年を記念して開催された「歴史ギャラリー」を見に行った。昨年できたばかりの「ふれあい館」の1階に小さいコーナーであるが展示されていた。

市場の中の上のアーケードに「開設300年」の垂れ幕が下がっていた。

























「ふれあい館」の隣の「一服横丁」の店前には、コンロの上に貝が焼かれ、上の殻を外してバーナで焼いていた。「ジュージュー」と泡が吹いて、いかにもおいしそうだった。



















「歴史ギャラリー」の中に入ると、まず目に入ったのは「近江町市場のカニを売っている絵画」と「紙安」と描かれた魚を運んだと思われる「桶」が展示されていた。店の人とお客さんとの「掛け合い」が楽しい。「安いよ・うまいよ」、「もっと安くしてくれんがか」などの声が聞こえてきそうだ。



















明治期に上近江町に創業した老舗徳野商店(荒物雑貨商が昭和41年に中央卸売場へ移転)に残る引札と大正時代から戦前にかけて店頭に掲げられた「ハイトリ紙」の看板だそうだ。商品にたかるハエを取る商品は、生鮮食品を取り扱う市場でよく売れたという。



















徳野商店(明治25年)
























「紙谷商店」の引札
























紙の「荒木商店」の引札

































昭和32年に近江町市場自治会青年部が機関紙「青雲」を発行していて、市場で働く若者たちの心情についての文が描かれていたのだろうか。



















近江町市場の歴史年表と写真が掲げられていた。
加賀藩御用達の市場として享保6年に開設されたのは始まりで、明治37年に「金澤青草辻市場官許された」とあった。その年に下近江町の大火(近江町焼け)が起き、その復興に向け、金沢市民の台所を目指すということから官許を受けた。



















大正15年に、能登の気多大社より大黒天を勧請し、毎年10月23日に「大国祭り」が始まった。市場で大売り出しも行われた。昭和28年には、葦簀や薦をかけて日陰を作った。



















仮装した人が歩いている「市場まつり」も行われた。
昭和50年代には上空から見るとアーケードがくノ一「女」の字形になった。



















近江町市場の再開発がはじまり、平成21年には「近江町いちば館」が完成し、従来のイメージから飛躍的に変わった。新幹線開通とともに観光客が増え、客層もかなり変わり、店の雰囲気も変わった。また令和2年には「近江町ふれあい館」が完成し、さらに充実した。