2015年12月28日月曜日

兵庫県の城巡りと北関西ドライブ(7) 城崎温泉

兵庫県の城巡りと北関西ドライブ(6)の続きで、竹田城を見た後今日泊まる城崎温泉に行った。
城崎温泉といえば、40数年前の独身のころ会社の友人たちと山陰巡りの途中に泊まって以来である。
そういえば去年だったか、兵庫県の市議会議員が城崎温泉に何回も泊まったことにしたという空出張が見つかり、涙ながらに絶叫して言い訳していたテレビの映像がよく出てきた。
城崎温泉は開湯1300年というから平安時代にも遡る。関西地方では有馬温泉と並ぶ有名な温泉地である。明治になって鉄道が開通し湯治客が増え、文豪の志賀直哉が「城崎温泉にて」を書いている。
泊まった宿は、駅前通にありリーズナブルで少人数の宿泊客のこじんまりした所である。




















城崎温泉には外湯と呼ばれる7つの共同浴場があり、やはりなんといっても外湯巡りが有名である。




















宿屋に荷物を置いて、早速外湯に行くことにした。タオルを持ち、浴衣を着て、下駄を履き、外湯どこでも無料のパスポートを宿でもらって出かけた。これがないとそれぞれの外湯で600円が必要だという。既に外は真っ暗で、川沿いの風景は温泉街の風情があった。




















天然の岩の洞窟風呂が人気という「一の湯」に入った。




















入り口には、パスポートのバーコードをセンサーで読み取り、中に入ることができる。それぞれの宿の浴衣を着た人がいた。脱衣所の鍵もしっかりしたものが付いていて、安心して湯に浸かれる。
城崎温泉の泉質はナトリウム、カルシウム、塩化物泉で、ほのかな塩味がする。洞窟風呂は神秘的な雰囲気であった。休憩所は広く、2階に飲み物を飲みながらソファでくつろぐ場所もある。




















宿に帰って、夕食をいただいた。ぶりや甘エビなどの刺身や金目鯛の煮物や但馬牛のしゃぶしゃぶや山の幸のてんぷらや酢の物などが並んでいた。





















カニは「ズワイガニ」(ここは松葉ガニ)解禁のちょっと前だったので、残念ながら「紅ズワイ」だったのは仕方ない。それでも大変なご馳走だったのでお酒もすすんでしまった。




















次の日は、午前6時から今度は外湯の「地蔵湯」に入った。ここの建物の前に大きな石灯篭や地蔵尊が置かれていた。源泉から地蔵が発見されたことからこの名がついたという。館内にはうたせ湯、ジェットバスなどがあり、ご利益たっぷりの湯であるという。




















川沿いを歩くと、両側に柳の木があり、レトロな街灯や石橋が架かっていて情緒がある。また、文人ゆかりの文学碑や歌碑などや城崎文芸館もあるという。時間があればゆっくり散歩したかった。
城之崎温泉ゆかりの文人には、柳田國男、志賀直哉、有島武郎、与謝野晶子などがいる。




















駅前通にも両側にレトロな外灯や宿の建物も古めかしい並んでいる。店の前に人力車が置いてある所もあった。




















宿に帰ると朝食が準備されており早速いただいたが、いろいろなおかずがチョコチョコとあり、私は宿の朝食が大好きである。ついついお代わりして食べ過ぎてしまう。またゆっくり来てそぞろ歩きを楽しみたい城崎温泉でした。

2015年12月24日木曜日

兵庫県の城巡りと北関西ドライブ(6) 竹田城②

兵庫県の城巡りと北関西ドライブ(5) 竹田城①の続きで
南千畳から本丸方向を見る。




















南千畳から竹田の町や丹波・但馬の街道などが見下ろせる。この丹波街道と但馬街道が交わる交通の要衝だったので、敵が攻めてきた時にすぐに対応できるように竹田城から見張っていたのではという。




















竹田城から下りるとき、城を見上げると雄大さが感じられた。この付近には、山肌を崩して出てきた石を運んで石垣に利用したという石取場の後いくつか残っているという。




















天下統一を目指した織田信長や豊臣秀吉にとって竹田城は播但地方の勢力を抑えるためだけでなく、近くにあった生野銀山を支配する拠点として重要であったという。生野銀山は1200年以上の歴史を持っていて、江戸時代は幕府直轄、明治時代は政府直轄の鉱山であった。




















またシャトルバスで下に降りると、竹田駅前付近にはJRの線路に沿って真っ直ぐの旧街道があり、古い町並みが続いていた。以前は旅館、料理屋、茶屋などの商店が並べ、家具や多くあったという。今は、竹田特産の家具の店と漆器、仏壇屋以外は無くなってしまったという。





















明治時代の、「旧木村酒造場」の建物には屋根に袖うだつが付いており、切妻造りで窓は「虫籠窓」(むしこ)を配していた。





















この町屋の中をのぞくと、店の板の間と広い畳の部屋があり、天井が高く、部屋の廻りには2階と同じ高さに通路が付いており、2階の部屋からは下の様子が見られように、土壁に丸い面白い開口部があった。




















この明治初期の造り酒屋を改修し、「たけだ城下町交流館」として宿泊施設、レストラン、カフェなどに利用されている。この建物群を考えるといかに大きい造り酒屋であったかが分かる。





















その横にある「山城の郷」の情報館には竹田城の歴史などを紹介する映像やジオラマなどが見学できる。




















お土産屋には、地元特産の但馬牛や日本3大ネギ「岩津ネギ」を使った手作りの商品や「天空の城」という地元銘柄のお酒などが並んでいた。


2015年12月19日土曜日

兵庫県の城巡りと北関西ドライブ(5) 竹田城①

兵庫県の城巡りと北関西ドライブ(4)の続きで、姫路の好古園から北に向かって、天空の城といわれる「竹田城」を目指した。「竹田城」は近年までその存在を私は知らなかったが、映画のロケ地として広く知られるようになり、日本のマチュピチュといわれ、晩秋のよく晴れた日に雲海に浮かぶ城として多くの人が訪れるようになった。
JR竹田駅付近の駐車場に着いたのは正午ごろとなった。




















駅の近くにあった明治時代の古民家を改修したという風情のある「カフェ寺子屋」という店に入り、但馬牛のすき焼きを頼んだ。ゆっくり味わいたかったが、竹田城へのバスの時刻がなかったのであわてて食べるしかなかった。




























早速、竹田駅からシャトルバス「天空バス」で中腹の竹田城跡停留所まで行き、ここで古い門をくぐり竹田城を目指した。




















そこから15分くらい坂道を歩いて登り、結構きつかったが石段を登るとようやく城跡の大手門虎口に着いた。「北千畳」から見る眼下の平地や但馬の山並みの景色がすばらしかった。










































標高353mの山頂に位置する竹田城跡は、1443(嘉吉3)年に但馬の守護大名山名宋全が基礎を築いたとされ、太田垣氏が7代にわたって城主となったが、織田信長の命によって秀吉の但馬征伐で1580(天正8)年に落城した。そして最後の城主・赤松広秀が豪壮な石積みの城郭を整備したといわれる。




















縄張りの規模は南北400m、東西100mという、石垣遺構としては全国屈指のもので、平成18年には日本城郭協会より「日本100名城」に選定された。




















二の丸から本丸を見ると一番高い石垣は天守台である。どんな天守があったのであろうか?
このある天守台を中心に山頂部から三方向に延びる尾根上に曲輪を連続的に配置し、堀切や竪堀で防御性を高めていたという。




















ここの石垣は築城当初のものでなく、太田垣氏が城主であった時代は、土を積み上げた土塁でだったという.それが最後の城主・赤松広重が豊臣秀吉の支援を受けて総石垣に改修したという。
400年前に積まれたここの石垣は、いろいろな形状の大きな石が力強く積まれている。




















ここの石垣のほとんどは当時の石垣の最新技術だった「穴生積み」という。これは滋賀県大津市の石工「穴生衆」の工法で、織田信長が安土城築城の際に用いているし、姫路城や金沢城もこの工法を用いている。




















城内の本丸へ向かう進路も複雑に折れ曲がり、高低差もあるなど迷路のような造りで、防御性を高めていた。





















南二の丸から本丸、二の丸、三の丸付近を見ると、その雄大さがわかる。




















ここの石垣は、どうしてこんな高いところまで大きな石を運んだのだろうと疑問を持つが、最近の研究では山を切り崩しながら出てきた石を利用したのではといわれている。これならなんとなく納得できる。

2015年12月15日火曜日

金沢食文化 食談 金城楼

今回は、同じ趣味仲間の友人に誘われて、食談を聞きながら昼懐石が食べられるということで橋場町にある「金城楼」に行った。金沢学院大学主催のゼミナールの一貫で、金沢食文化「食を愛でる」というテーマで行われた。


























「金城楼」は1890(明治23)年創業の金沢でも高級料亭のひとつである。東山、主計町茶屋街に近いことから、ここに泊るお客さんたちから芸妓さんが呼ばれて芸を披露することもあるらしい。




















第一部はトークセッチョン「美術工芸王国”石川”の食文化」と題して、パネリストは司会が学院大学教授で日本画家、茶道家の平木孝さん、そしてやはり学院大学の先生で漆芸科の市島桜魚さん、一級フードアナリストの雅珠香(あすか)さんであった。




















石川県の伝統工芸の中で「輪島塗」、「加賀蒔絵」や「山中漆器」に代表される漆文化の特徴について、市島桜魚先生が分かりやすく説明してくれた。木に漆を塗ったお椀は、熱いものを入れて手で持っても熱くないし、また、いつまでも温かいし、防水性もあり、丈夫であると言う。家に大事に保管されているものも多いと思うが、常々使うべきだといっていた。




















また、1年間に600店の店を食べ歩いて紹介している雅珠香さんから、食は観光に欠かせないものであり、石川県や金沢市では今年の2月から新しくできた店が急激に増え、京都などで修行した若手和食料理人さんがこちらに来て、レベルが高くなっているという。
食べ物の味だけでなく店の雰囲気、盛り付けなどいろいろなものを見ながら食べ歩いているという面白い話が聞けた。




















平木孝さんからは料理を盛り付ける「器」について、古田織部好みの緑を使った器の影響が大きいことや北大路路山人が石川県で修行し、その後東京で高級料亭を経営した後、自分で料理を盛るための器を作り始めた話などがあった。
続いて第2部として「五感で愛でる、金沢の食」と題して、昼懐石と加賀の菊酒を頂きながら食談を聞いた。そして中村酒造の中村太郎社長から、菊酒は9月9日に菊の花びらが付いたお酒を飲む風習があり、「神仙の飲み物」として強健になるという。「加賀の菊酒」は3つの説があり、白山の菊潤を水源とする手取川の水でつくることから鶴来説と犀川の上流に菊が嶽があり、菊水川と呼んでいる金沢説や加賀全体という説があるという。




















ここで出てきたお酒とご馳走について紹介する。
お酒は、中村酒造の純米吟醸「日榮」、純米酒の「加賀雪梅」など甘口や辛口のお酒4種類が出た。どれも飲み心地がよく、ほんわかと気分がよくなった。




















前菜として、さば寿司や蟹えびす




















お吸い物替わりとして「蟹の茶碗蒸し」





















お造りとして「鱈の子付け」




















加賀伝承料理「鴨部煮」





















焼き物「鰤の照り焼き」




















お食事として「加賀野菜の炊き込御飯」と「味噌汁」




















デザートとして、能登大納言小豆を使用した「牛乳羹」




















最後の挨拶で金沢学院大学学長の秋山稔さんが「観光客に金沢の印象を聞いたら、兼六園、21世紀美術館でもなく、一言『おいしい』だった」と言っていたのが印象に残っている。


2015年12月11日金曜日

兵庫県の城巡りと北関西ドライブ(4) 好古園

兵庫県の城巡りと北関西ドライブ(3)の続きで、次の日に姫路城の隣にある「好古園」に行った。
途中姫路城の「西の丸」の櫓が水堀の石垣の上に見えた。




















「好古園」は姫路城西屋敷跡にある庭園で、姫路城を借景にして、姫路市制百周年を記念して造営され、平成4年に開園した池泉回遊式の日本庭園である。




















昭和60年以来の発掘調査で確認された西御屋敷、武家屋敷跡、通路跡などの地割を活かした九つの趣の異なった庭園で構成されている。


姫路城藩主の下屋敷があった「御屋敷の庭」は姫山原始林を借景とした池泉回遊式庭園で、大滝があり深山幽谷の流れの趣があり、瀬戸内海をイメージして池には錦鯉がたくさん泳いでいた。




















「苗の庭」には江戸時代に栽培された園芸植物を育成する庭園という。




















「茶の庭」には茶室を中心に、飛び石、蹲、灯篭、腰掛待合室などが配置されていた、




















「流れの平庭」は曲水となっていて流れも緩やかで、周りに松や紅葉した木々などが見事に生えていた。





















「松の庭」は瀬戸内地方のアカマツ林をイメージした庭だそうです。




















「竹の庭」には15種類の竹類を植栽した庭園で中央に八角の和傘をイメージした四阿が配置されている。





















「築山池泉の庭」にはモミジやクロマツなどが映える典型的な日本庭園で、池の北側には亀を、南側には鶴をイメージした岩島を配置しているという。向こうの方には姫路城の櫓が見える。