2026年4月22日水曜日

山中温泉(4)九谷焼美術館 久谷赤絵の極致②

 山中温泉(3)九谷焼美術館 久谷赤絵の極致①の続きで、その後も「九谷焼美術館」内を見物する。

下図は伝統的な九谷焼の釜(登窯)のイメージ図である。上絵が描かれる前の磁器を焼くための窯で、九谷では複数の焼成室が連なるもので、斜面を利用して築かれた。下の方の焼成室から順に上の焼成室に移していく方式である。横の扉から製品の出し入れをする。炎が直接当たらないよう釜が二重構造になっている。

























前日見た「久谷窯跡」















昨日の「久谷古窯跡」に行った時には、周囲が雪に覆われたいたので見えなかったが、下図のように「古九谷窯跡石碑」や案内板がある写真が展示されていた。












「後藤才次郎」は大聖寺藩主前田利治に命じられ久谷の山林に金鉱をを求めたことが記されている。久谷村には「後藤才次郎」の住居跡と釜場所が残っていて、多くの素焼きの破片も出土したとある。

上部の写真は「後藤才次郎碑」である。















古九谷は、肥前国有田で陶芸を学んだ後藤才次郎が、1655(承応4)年ごろから最初に窯を開いてから約50年間で姿を消し、その後、100年ほどは藩内で時期は生産されなかった。陶磁器の焼成が再びはじまったのは1807(文化4)年に京都の陶工青木木米が加賀藩に招かれ、春日山(卯辰山)に窯を開いた。木米は1年余りで帰郷してしまったが、木米の弟子の本多貞吉が小松に開いた若杉窯を始め、次々と釜が興された。これを総称して「再興久谷」と呼び、現在の久谷焼に繋がっている。













九谷焼ができるまでの工程は、造形(轆轤や鋳込み型で形を作る)、素焼き、下絵付け(染付)、釉釉薬がけ、本焼き、上絵付け、錦窯、といくつもの作業がある。























下図は県内の久谷の窯跡の分布図」である。「古九谷」は山中温泉の近くにあり、再興久谷の「吉田窯・宮本窯」などは大聖寺地区に、「庄三窯」や「若杉窯」などは能美市・小松市地区に、そして「春日山・民山釜」は金沢市にある。





















その工程をビデオで観賞できるようになったいたので、ゆっくり見たかったが時間がかかりそうなので、あきらめた。



















九谷焼の元になる「陶石」が展示されていた。右上の「朱石」は赤絵具(酸化鉄)として使われる。「荒谷陶石」は素地・釉薬の原料として使われる。



















右上の「黄銅鉱」は緑色釉薬(酸化銅)として使われる。「久谷陶石」は素地・釉薬の原料として使われる。



















建物のそばに、茶室に入る前に口や手を清める「蹲」が配置されていた。四つの役石は水の流れで貯める水鉢、前の大きな石は人がしゃがむ所で「前石」と呼ばれている。両側に「湯桶石」と「手綽石」とを置かれ、四つの役石の中央には小石が置かれていて、「水琴窟」となっている所もある。




















その「水琴窟」の仕組みの分かりやすい絵がかかれていた。水門石から落ちた水のしずくが亀の下にたまった水のあたって出る音が、大きく「キーン」と聞こえるという不思議なものである。