2018年12月6日木曜日

大野界隈(2)橋栄醤油味噌

大野界隈(1)の続きで、その後、大野町の町屋住宅や醤油蔵を見に行った。
元和年間に直江屋伊兵衛が紀州湯浅から醤油醸造法を伝え、大野は全国の5大産地の一つと数えられる醤油の町となった。城下町金沢を控え、材料移入の海運の便と、白山の伏流水に恵まれ、かっては炉を超える蔵元があったという。現在でも、小さな大野の町に24もの蔵元が軒を連ね「しもおん」と呼ばれる魚の粕漬や味噌、大根寿司など、豊かな発酵文化も育んでいる。



















「旧蓮地町」は蓮花院という寺に蓮が咲く池があったからという
























近くの原っぱに醤油醸造のために使われたという大きな木樽が置かれていた。この木樽は直径2.5m、高さ2mで、大正14年から平成26年まで90年間「橋栄醤油味噌(株)」で使われていたという。昔ながらの木樽でじっくり熟成。かって町内には樽や桶を作る職人もいたという。



















その向かいに、「橋栄醤油味噌(株)」の「まるは醤油みそ」の大きな工場がある。























「橋栄醤油味噌(株)」は、代々「橋本家」としてこの地に居住していて、以前は「材木商」そして「郵便局」にもなっていたところであるが、昭和初年度からは「醸造業」として店をやっている。玄関の明かりの下に今はガラス戸になっているが、以前大戸があったのだろう。その横には、古めかしい店の看板があり、「細格子」がある。



















この建物も店が変わり、昔と面影が違っているのではと思う。



















茶の間には囲炉裏があり鉄瓶が掛かていたが、その横に金属製のボックスに二つの蓋が付いている面白いものを見た。この中に熱燗などを入れるのだろうか?



















また、茶箪笥の上には昔の船のジオラマが飾られていたが、かっては大野町に多くいたという船主の家なのだろう。

















部屋と部屋の間にある引き戸は、障子ではなく「よしず」を張った戸となっていた。