2018年12月2日日曜日

大野界隈(1) 日吉神社 伝泉寺

今回は、私が入っている団体の仲間らと「大野」を歩いた。集合場所は「日吉神社」だったので、まず、「日吉神社」から見た。ここは、聖武天皇の753(天平5)年に、加賀の国の住人(道 高古)が近江国坂本に鎮座された日吉大社東本宮に奉斎されていた大山昨神(おおやまくいのかみ)の御分霊をこの地にお祭りされたのが始まりとされ、さらに820(貞観2)年に同社西本宮の御祭神の大物主の神をも勧請合祀されたものだという。



















この鳥居の横に、樹高12mという金沢指定保存樹の「ご神木イチョウの木」がある。この木は、12代藩主斉広公の鷹狩りの祈り参拝記念樹で、金沢一のイチョウの大木だという。
























寄進された「狛犬」や「御神燈」が鳥居から拝殿までの参道の両側にいくつも並んでいた。一番上の拝殿前には、大野町の富豪丸谷伝右衛門、伝四郎が奉納した1818(文化15)年とある左右一対の御影石の御神燈がある。また、この年より古く、寛政末から文化初期に奉納されたと思われる左右一対の狛犬がある。これらは当時の丸谷家の財力を示すものだという。











































江戸時代には、歴代の加賀藩主前田家から厚く崇敬を受け、参詣、祈祷、寄進などがあり、6代藩主吉徳公が山王社鎮座一千年に当たって一千年祭の神事が執行され、その後50年毎に大祭が行われることになった。またこの土地の人も事あるごとに社殿の改装を行い祭具や備品などを寄進し感謝の誠を捧げている。1874(明治7)年に従来の「山王大権現」と称していたのを「日吉神社」にしたという。



















社宝には、「富樫泰家」寄進の「山王猿」や「大荷弁吉」作の「「丸屋獅子」、「黒獅子」、井波彫刻師作の「木彫り漆塗り狛犬」などがある。



















拝殿の前の左側には、天満宮に負けない大きな「筆塚」が奉納されている。



















大野町は、農業よりも港を使い漁業や海運業が盛んで、江戸時代後期から明治期にかけて北前船の拠点として繁栄したが、「板子一枚下は地獄」といわれる船乗りの世界で、北前船の船主たちは神仏への畏敬の念を込めて航海の安全を祈ったという。



















この神社の裏は、「日和山遊歩道」があって散歩コースとなっている。海岸林の向こうは日本海が見える。この途中に「弁吉顕彰碑」が立っている。からくり師大野弁吉は、幕末日本のレオナルドダヴィンチの異名を持つ発明家で、銭屋五平の知恵袋ともいわれた。この砂山の下に弁吉の屋敷があったという。



















「日吉神社」の鳥居の前をまっすぐ行くと「伝泉寺」があるが、ここは真宗大谷派の寺院であり1601(慶長6)年に創建された。大火により本堂、庫裏を全焼したが、明治初期1875(明治8)年に大川伝兵衛が棟梁となり、本堂の再建木造り立てをし、庫裏、鐘楼、門が建てられた。



















境内にある御影石手洗い鉢は、北前船で活躍した丸谷伝衛門・丸谷伊右衛門共同での寄進である。



















ここに「大野弁吉」の墓がある。