2018年12月21日金曜日

加賀橋立(1) 北前資料館①

今回は、仲間と加賀市の橋立を巡った。ここは、江戸後期から明治中期にかけて活躍した北前船の船主や船頭が多く居住した集落があり、伝統的建築物保存地区になっている。船主屋敷の母屋は切妻妻入りで、屋根は赤茶色の瓦葺で、周囲には板塀や土蔵がある。敷石や石垣には淡緑青色の笏谷石が使われている。
























外観は日本海から吹き付ける潮風から家を守るが如く船板で覆われている。ここ橋立は、命を懸けて北の荒波に乗り出し、その才覚によって巨万の富を築いた北前魂が息づいた街並みであるという。



















その橋立の町の様子が窺えるという「北前船の里資料館」に入った。ここは、酒谷家7代長平が明治9年に建てたものだという。



















玄関を入ると北前船に使われていた「四爪錨」がまず目に入った。



















屋敷の中に入ると30畳敷きの大広間の「オエ」は、8寸角のケヤキの柱、巨大な松の梁、秋田杉の大戸など最高級の建材を使った建物で、船主の往時の豪華な生活ぶりがうかがい知れる。



















天井の梁などは何層にも漆が塗られており、130年前の建物とはとても思えない。



















北前船の模型や船額、船宿看板などが飾られていた。



















重要書類や衣料などを入れるのに用いた「船箪笥」は、扉には模様の入った金具が取り付けられ、鍵なども付けられ盗難にあわないようにされていた。外側はケヤキで内部はキリ材を用い、海難で海に投げ出しても水が入らないように作られているという。高級な「船箪笥」は、酒田、小木(佐渡)、三国など主に日本海側で作られていたという。



















大聖寺藩10代藩主 前田利極(としなか)の位牌で、橋立で最も財力のあった久保彦兵衛星屋敷内に同公を祀る祠があった。大聖寺藩と橋立の北前船主との関係を示すものだという。また、北前船主内の屋敷の仏壇の中にあった御本尊も飾られている。



















沿岸を遠く離れて航海するのではなく、北前船の船乗りたちは「山を見る」という「沿岸航路が多かったので、「遠眼鏡」は貴重な器具であったという。当初オランダから伝えられたが、日本で独特の発展を遂げ、筒を紙の一閑張りにし、漆塗りの表面に金で装飾したきらびやかなものが展示されていた。他に方向を示す「和磁石」もあった。