2020年3月18日水曜日

石引界隈(2)旧欠原町 旧鷹匠町

石引界隈(1)の続きで、その後もこの辺りの道を歩いた。坂と坂の間に横道があり、くねくねと曲がっていているが、ここの地形に沿って造られた道なのだろう。そして上側には石垣の壁となっていて反対側は家が建っているが、その裏側も急坂のようだ。
























この辺りを「旧欠原町」といって標柱には「崖縁の通りであるため、藩政時代は笠舞がけ原、がけ片原町などと呼ばれていたが、のち、略してこの名がついた」とあった。
























さらに歩くと三方向への道があり、真っすぐ行くと「中欠原町」、「下欠原町」へと続く。下の方は「新坂」という坂がある。ここを下ると「唯念寺」があるが、以前このブログでも紹介しているが、そこで「おてらくご」を見に行ったことがある。



















ここの標柱に「 加賀藩前期、嫁坂のあとにできたのでこの名がついた。昔は、小立野新坂、笠舞新坂ともよばれた」とあった。この標注の前にべったりとミニバンが止まっており、標柱を撮るのに苦労した。
























また、「旧欠原町」の道に上に上がると、「棟岳寺」に出るが、ここは次回に紹介するとして、その先の道は「小立野通り」に通じていて「旧鷹匠町」の道である。



















ここの保育園の横に「旧鷹匠町」の標柱があり「寛文の初めころから、藩の鷹匠の邸地や鷹部屋がここにあったので、この名がついた」とあった。先日、金沢城で「鷹匠の実演」をやっていたが、ああいう人達がこの辺りに住んでいたのかと思いをめぐらす。先日の新聞で、鷹匠たちに今は「カラス被害があるところから、鷹に追い払ってもらおうという仕事が来ている」と出ていたのを見たことがある。
























その前の道は、長い真っすぐな道で、今は突き当りに「本多の森ホール」の建物が見える。
























「梅光保育園」は、キリスト教の精神に基づいて保育活動を行っている所である。



















「小立野通」に出てると、「タピオカ」専門にやっている店があったので入った。



















中国人の女性がやっている店で、ここで一服した。こういう店は私一人ではなかなか入れないが、今回は近くに住んでいる連れと一緒で、彼が中国語を勉強していて、たまに来るらしい。



















「タピオカミルクティー」がこの店では一番人気ということで、それを頂いたが、「タピオカ」は、若い人には人気があるらしいが、年寄りの私にとっては甘くてよくわからない味だ。