ひがし茶屋街付近の様子 2019初夏(1)の続きで、その通りの先に「東山菅原神社」がある。加賀藩前田家の先祖が「菅原道真」だということから、金沢には「菅原神社」と名のつくがいくつかある。ここは、もちろん学問の神様であるとともに、茶屋街の鎮守社でもある。
境内には、参道の両側左にクロマツ(男松)、そして右側にアカマツ(女松)が配され、諸事の良縁が叶えられるよう現在もその当時をしのぶ御神木となっていて「良縁の松」と呼ばれている。
アカマツの幹にある傷跡は太平洋戦争末期に幹から松根油を採取した名残である。兼六園の梅林にも、同じような大きな傷跡がある松がある。
神社沿いの通りに、お茶屋さんを改修した「ほやさけ」という典型的な金沢弁を店名とした「小松うどん」の店に昼食のために入った。
玄関を入ると、以前お茶屋さんだったと思われる広い階段があった。現在は、ここの2階で宿泊できるようだ。お茶屋さんの部屋で宿泊するのも乙なものだ。
石川県で大衆的なうどん店が開店したのは小松だったといわれている。江戸時代に加賀藩に納められ、加賀藩御用達のうどんとして将軍や大名家に納められたほか、松尾芭蕉も食したとされる「小松うどん」は300年の歴史があるという。今回は、ふつうは小麦で作られたうどんであるが、特別に大麦で作ったという細めのうどんの「なめこおろしうどん」を食べた。細いがもっちりして、だしの味もよくおいしかった。
その後、わきの通りを歩いていくと、200年前に建てられたという建物「お茶屋文化館」の2階に小さな屋根付きの提灯がぶら下がっている。最近はぶら下がっている店が少ないが、以前はほとんどの店にあり、夜になると店が開いている提灯だけに明かりがついていたのだろう。現在は、この店には芸妓さんが使っていた小道具、例えば笄や櫛などが展示されている。また、紅殻の間や群青の間もある。
クランクしている角には、一際大きいお茶屋さんの建物がある。玄関がないので店の裏手なのだろう。その横には蔵がくっついている。その近くのお茶屋さんも紅柄格子で、簾が掛かっていて風流さを醸し出している。
その先に、ひがし茶屋街の「検番」があり、玄関には夏らしい華やかな「七夕の吹き流し」が飾られていた。また、2階から芸妓さんのけいこ中か三味線の音色が聞こえていた。
「検番」の横には「金沢おどり」や検番での見学体験などのポスターが貼られていた。2階の雨戸は中央にある鉄のポールで作られたところに収納するのだろうか?ほかの店の雨戸は隅に戸袋がついているが。