山門の横には「百日紅」の木があり、夏にはさぞきれいな赤い花が咲くのだろう。猿も滑るというつるつるした木である。
山門をくぐると本堂があるが、その前にも「金毘羅大権現」の大きな石碑が立っていた。ここに「子爵前田・・」と「衆議院議員 横山一平」の名前が見えた。戸室石の灯篭もいくつかあった。
左側には、この寺の協力者が寄進したという頭の後ろに輪光があり大きな台座に座っている「お釈迦さま」の石塔と下の方が石に積まれた大きな三重の石塔が置かれていた。
その隣には赤い帽子、赤い前掛けをした「六地蔵」が並んでいたが、お祈りすると学業向上・開運出世・病気平癒の御利益があるとされている。
本堂の入り口には「金毘羅」の扁額や多くの提灯が掛けられ、また鈴紐がかけらており、神社洋式の風変わり寺院である。
本堂の中に入るとやはり神社形式をとっていて、左側内陣は金毘羅大権現が中心となっている。
右側内陣は阿弥陀如来が祀ってあり、脇に馬頭観音・不動明王・毘沙門天が配置されている。また、中央には金沢出身の人間国宝の蓮田修吾郎寄贈の作品の多宝塔が安置されている。
来教寺は藩政期より幕末まで藩の許可を得た富籤(とみくじ)のお寺でもあった。富籤は今の宝くじのようなもので、その名残を受けて今でもこちらの人槽御籤は評判で、中に入るとここの住職が自ら占ってくれるという。その他にも、「幼児命名」や「家相」、「墓相」、「人生萬相談」などいろいろなことをやってくれるので、ここを訪れる人も多いという。
来教寺の前に「旧小川町」の標柱があった。「藩政時代は、川(河)端町、西養寺前、誓願寺前、玄門寺前などのまちであったが、小川に沿ったまちなので、明治の初め、上、下小川町に改められた。」とあった。今は小川がないが、どんな小川だったのだろうか?