2019年4月20日土曜日

卯辰山寺院群(3)誓願寺

卯辰山寺院群(2)の続きで、さらに奥の方に入ると坂になり、道が入り組んでていくつかに分かれている。



















その坂の脇に「誓願寺」がある。ここの階段や両脇には戸室石が使われているが、少し傷んでいるようだ。この寺は鎌倉から六枚町を経て、現在地に移ったという。



















山門をくぐると右手に「延命地藏尊堂」がある。右手に錫杖、左手に宝珠を持っていて、毎年8月24日には、寺による地蔵供養があるという。



















本堂には本尊の阿弥陀如来像、江の島ゆかりの弘法大使作の秘伝開運弁財天像、苦行釈迦像、箸供養で歯痛平癒を祈願した観世音菩薩を祀っているという。以前は多くの人が詣でたらしく観世音菩薩の前には山のように積まれた箸が載っていたという。
今回は、境内に入るとちょうどここの住職とあったので、この中を見せてほしいことを言ったが、現在改修中なので見せることはできないということであった。外観から見るとこの寺もちょっと寂れているようなので、この若い住職さんに是非盛り返してもらいたいものである。



















それで、ここの住職さんに裏にある有名な方のお墓の場所を案内してもらった。ピンクのきれいな花が咲いている脇を通って裏の墓場の方に行った。



















江戸時代に加賀藩前田家は、毎年7月1日になると氷室の雪を幕府に献上していたが、5代綱紀の時代に金沢の菓子屋の道願屋彦兵衛」が考案した饅頭が、道中の無事を祈り神社に供えられたが、これが「氷室饅頭」の起源と伝えられている。その「道願屋彦兵衛」の墓がある。



















毎年6月12日には「生菓子専門会」役員の人たちで、「氷室饅頭元祖道願屋彦兵衛墓前祭」が催され、墓前に氷室饅頭と清酒が供えられる。




















金沢には「無病息災」を願って「氷室饅頭」を食べる習慣がある。






「金沢の和菓子」より












もう一つは、藩政時代に金沢の金箔製作が幕府の許可が得られなく、衰退していたのを「越野佐助」の尽力により復興させた功労者であるが、その「越野佐助」の墓がある。また、「箔業祖」として「越野佐助」が崇められている石碑が卯辰山中腹に立っている。