2019年4月9日火曜日

東京 浜離宮恩賜庭園(3)

東京 浜離宮恩賜庭園(2)の続きで、「御亭山」の近くに三つの御茶屋が復元されている。御茶屋は歴代将軍たちが賓客と庭園の景色を楽しみながら、食事をしたり和歌を詠むなど優雅な時間を過ごす場だったという。御茶屋は11代将軍家斉の時代に建てられたが、関東大震災や第二次世界大戦の戦災によって焼失してしまった。ここ「鷹の御茶屋」は昨年に復元されたばかりだ。



















ここは将軍の鷹狩りをする際の休憩所としていようされた。野支度のまま立ち寄るように広い土間があり、土間には囲炉裏もあったという。建物の裏には鷹が待機する「鷹部屋」あったという。中を見たかったが、まだ開いていなかった。



















池のほとりにある「燕の御茶屋」は平成27年に再現された。名前の由来は、釘隠しの形が燕または燕子花(かきつばた)の形だったからともいわれている。当時は南宋の画家の蓮亀の絵を飾り、菓子や肴で客をもてなしたといわれている。
































「中島の御茶屋」は将軍の賓客たちと共に和歌を詠んだり「潮入の池」に浮かぶ船上の音楽を楽しんだ場所だという。アメリカの前大統領グランドが明治天皇と会見した場所でもある。1983(昭和58)年に再建された。ここで一服し、抹茶と和菓子をいただいた。
外国人観光客もここで大勢い休憩していた。ここから眺める池の風景はまた格別だ。














































「中島の御茶屋」の対岸に見えるのは「松の御茶屋」で、「潮入の池」の目の前に建っており、ここも池への眺望が良いところで、1869(明治2)年に英国公使パークスとの会食場としても使われたという。



















池のほとりの木には、兼六園でお馴染みの「雪つり」がなされていた。ここでは雪の重みで枝が折れるのを防ぐというよりも風情を出すためのようである。



















江戸時代の兼六園や金沢の街中でもいくつかあった「馬場跡」がここにも残っていた。武士の鍛錬から乗馬や弓術などを競わせて、現在のスポーツ観戦のようにそれを殿様は楽しんだのであろうか。



















「可美真手命」(うましまえのみこと)という人の銅像があった。神武天皇の東方遠征の時に従い、手柄を立てた人だという。明治天皇の銀婚式の記念に陸軍省が建てたものだという。
























出口付近のお花畑では、今の季節はやはり梅が主役である。