2016東京ドライブ(2) 旧岩崎邸庭園の続きで、その後、洋館の隣にある和館を見た。ここは、書院造りを基調とした、当初建坪550坪におよび洋館よりも大きかったいう。現在は、冠婚葬祭などに使われた大広間の1棟だけが残っている。
和館前の手水鉢や庭石、木斛の大木にその面影を見ることができる。この和洋併置式の邸宅形式は、その後の日本の邸宅建築に大きな影響を与えているという。
施工は大工棟梁として、政財界の大立者たちの屋敷を数多く手がけた大河喜十郎と伝えられている。部材のひとつひとつに、現在では入手困難な木材が多く使われているという。
当時に描かれたという「木の葉や枝にとまっているミミズク」の絵が板戸に残っていた。
書院造りにつきものの古めかしい趣のある「床の間」や「違い棚」があった。「床の間」の後の壁には、橋本雅邦が下絵を描いたといわれる「富士山と波」と思われる絵が薄く描かれているのが見えた。
床の間の横の書院障子の組子は、三菱の「菱紋」をモチーフに組み立てられている。建具の細部まで意匠への心配りが見られる。
広間と隣の部屋の間にの欄間はやはり三菱の関係からか「菱形」にくりぬかれていた。ここの部屋には「お土産」が並び、ここで和菓子とコーヒーを頂き一服した。
コンドルの設計の撞球室(ビリヤード場)は、洋館から少し離れた位置に別棟として建っている。当時の日本では珍しいスイスの山小屋風の造りとなっている。全体は木造構造で、校倉造りの壁、刻みの入った柱、軒を深く差し出した大屋根など、アメリカのゴシックの流れをくむデザインだという。
内部には貴重な金唐革紙の壁紙が貼られたところがある。ビリヤードをする建物を造るということは、岩崎久彌がよっぽど好きだったのか、このころの上流階級の社交場として利用されていたのだろうか?