その後、山手線に乗って「御徒町」で下車して、「旧岩崎邸庭園」へ行った。
ここは1896(明治29)年に、三菱財閥の基礎を築いた岩崎弥太郎の長男の三菱社長の久彌(ひさや)の本邸として造られた。往時は約15,000坪の敷地に、20棟もの建物が並んでいたという。現在は1/3の敷地となり、現存するのは洋館・撞球室・和館大広間の3棟のみである。
洋館は、日本の西欧建築の父ともいわれるイギリスの建築家のジョイサイア・コンドルが設計した。
同じころの西洋建築にはない、細かい装飾がなされている。
洋館の中はガイドさんについて説明を受けながら回った。
17世紀の英国ジャコビアン様式の見事な装飾があちこちに見られ、イギリス・ルネッサンス様式やイスラム風のモチーフなどが取り入れられているという。
2階の客室には、貴重な金唐革紙の壁紙が貼られていた。
1階の婦人客室天井にはシルクの日本刺繍のの布張りになっていた。
洋館の南側は、列柱の並ぶベランダ(東南アジアの植民地と発達しコロニアル方式を踏襲)で、1階列柱はトスカナ式、2階列柱はイオニア式の特徴を持っているという。
また、1階のベランダには、英国のミントン社製のタイルが目地なく引き詰められていている。
庭園は、江戸時代の越後高田藩榊原氏、および明治初期は舞鶴藩牧野氏の屋敷で、大名庭園を一部踏襲していたという。建築様式同様に和洋併置式とされ、「芝庭」をもつ近代庭園の初期の形を残しているという。
往時をしのぶ庭には、江戸時代の大きな灯篭があった。