13代藩主の能登巡見巡り(5)の続きで、昨年の6月に宇出津、上時国家を巡ったが、7月には「喜夛家」、「岡部家」、「石動山」を巡ったので紹介する。
13代藩主斉泰は、能登巡見巡り25日間の24日目に「川尻村」今の「宝達志水町」にある「喜多家」に宿泊している。
日々をお送りにしたがい、農民の信頼を得、加賀藩独自の「十村役」という政治機構の一端を担うことになったという。義貞公より23代目の喜夛市十郎吉義真実が十村役を仰せつかり3代にわたり口能登を一手に治め千石船といわれる北前船を8隻をも動かし、十村役の筆頭として栄を納めたものである。現当主は義貞公より28代目となる。
下図は主屋の平面図で、部屋数は15、建坪170坪ある。内部には「大式台」の奥に「式台の間」、さらに奥に「謁見の間」の座敷が三つ並んでいる。中央の「本座敷」の前に「広間」を備え、右側の玄関の奥に「溜まりの間」、「勝手の間」、「台所」などがある。
下図は喜夛家の配置図で、敷地面積は約7,600坪で鬱蒼とした森の中に住居があり、表門や主屋がある住居部分は、周囲より2m低くして区別している。喜夛家の重要文化財の建物は、表門、主屋、道具倉、味噌倉と4つある。
主屋の前面にある「大式台」が見える。ここは藩主専用の玄関で、式台は2間半の広さがあ り、駕籠が横づけになる大きさがある。13代藩主斉泰が宿泊されたときは、ここから入ったのであろう。