2023年3月11日土曜日

13代藩主の能登巡見巡り(7)喜多家②

 13代藩主の能登巡見巡り(6)喜多家①の続きで、現在のご当主から内部についてさらに説明して頂いた。

こちらが十村役用の玄関で、現在は普段入る玄関になっている。


そこから上がると「溜まりの間」があり、藩政期は十村役が集まり、ここで審議がなされたという。現在は敷地内の全体図や主屋の平面図などが展示されていた。











部屋の中央にお客さんにお茶をふるまうための炉に茶釜が置かれていた。











天井の梁も太く、壁板には槍などが掛けられていた。











「調詞所」は、十村が政務を行う所で、格子の外に訪れる領内の農民と接する場所である。

格子窓は内から外は見やすく、外から内は見えにくくなっている。









「小式台」は、家老や上級の武士などの玄関である。















「使者の間」は、武士の控えの者が控えていた場所で、格式を持たせるため床を一段高くしてある。襖の板戸には、きれいな花などの絵が描かれている。












式台の間の後ろには、6畳の「謁見の間」が三つ並んである。



















そのうちの右端の「謁見の間」が藩主の部屋として使われ、茶室建築独特の落ち着きと風格ががある部屋である。能登巡見で、13代藩主斉泰はこの部屋に泊まったのであろう。
喜多家では、藩主宿泊の本陣が命ぜられてから、その準備は大変なもので、周辺の十村役を筆頭として河北郡や羽咋郡などの多くの人々は携わり、藩主宿泊に粗相がないように万全の体制を取り、万一に備えたという。


















喜多家に伝わる古文書の中に斉泰公御泊まりの時に献上した御成餅一重と蛤一折などの目録が残っている。















藩主宿泊部屋の裏には万一の時の「武者隠しの間」があった。





藩主専用の「湯殿」と「御手水」で、浴槽は赤漆塗りで湯がさめないように下に炭火が入るようになっている。