2023年2月10日金曜日

13代藩主の能登巡見巡り(3)宇出津②

 13代藩主の能登巡見巡り(2)宇出津①の続きで、さらに宇出津の町を巡る。

「遠島山公園」から見える赤い洒落たつり橋「しらさぎ橋」は全長67mで、奥能登唯一のつり橋だという。



















下図の写真2つは、案内人がこの山の向こうに、またもう一つは階段の上に何か建物があると言っていたが聞き忘れてしまって申し訳ない。





































1階も2階も格子窓になっている家など、この辺りは宇出津の古い家並みが残る場所で「宇出津の往還道」と言われている。


















この通りには、「能登巡見」で斉泰が宿泊した本陣乙ヶ崎屋太次兵衛宅の場所がここであると案内人から説明を受けた。

































こちらの家の側面には、ひらひらな板が付いているが舟板だったものであろうか?


















「酒垂神社」の狛犬にはマスクが掛けられている。


















「能登巡見」の斉泰は、近くの武具蔵や煙硝蔵を見た後、この天保島にあった「お台場」を見学したという。今は面影がない。


















この漁船は何の魚を捕る舟なのだろうか、それとも捕った魚を陸揚げするための搬送装置であろうか?


















「遠島山公園」の中に、これまでの能登でのもっとも大物政治家である「益谷秀次」の大きな銅像があった。
























その横に「益谷秀次先生顕彰之碑」があり、年譜が描かれていて、明治21年に宇出津で生まれ、金沢二中、京都帝国大学を卒業、大正9年に衆議院議員に初当選した。その後、戦後に建設大臣、国務大臣などを歴任し、参議院議員に移り岸首相の時に副総理、自民党の幹事長、参議院議長などの数々の要職を務めた。後に七尾名誉市民、能都町栄誉町民などに推挙された。そして昭和48年に能都町で逝去したという。大正・昭和の大激動時期を国家・社会のために尽くし、まれなる清廉潔白な政治家で、まさに典型的な「能登人」と言える人物であったという。他に穴水~蛸島までの「奥能登線」の施設に尽力したり「金沢医科大学」の理事長としても有名である。



















能都町役場を訪ねたときに建物の裏の道路は、「奥能登線」の線路が通っていた場所だと言っていた。道路の奥の方には、そのトンネル跡が残っていた。20代前半の時に、東京から帰省した折に、学生時代の仲間の親が経営していた「恋路海岸」の民宿へ行った時に、「奥能登線」に乗ったことを思い出す。