2023年2月6日月曜日

13代藩主の能登巡見巡り(2)宇出津①

 13代藩主の能登巡見巡り(1)の続きで、今回からは仲間3人と巡った「能登巡見コース」の5か所について紹介していきます。















昨年の6月17日に、まず能登内浦の「宇出津」へ行った。午前8時に金沢を出発し、山側環状線から能登里山街道、大規模農道を通り、約2時間くらいで「宇出津」に入った。仲間の一人が段取りがよく、能都町役場の職員から説明を受けながら回った。まず、宇出津港に行った。ここの港は、両側の高台に囲まれた天然の良港で、いつも穏やかな湾である。そのため江戸時代から奥郡内浦で最も賑わう村で、加賀藩からも町立(宿立)として扱っていたという。



















こちらからは運が良ければ、下図のような立山連峰が見えるらしいが、能登に生まれた人々が誰しも愛し好む眺望であるという。古来より能登内浦の漁師の口からの観天望気で、「立山が見えると翌日は雨が降る「時化る」ということわざが今も言い伝えられているという。しかし鮮明に見えるのは、年間20日程度だという。

ここから山側を見ると、街並みの中央に川が流れていて奥に低い山が見える。


















「遠島山公園」には、「能登町立羽根万象美術館」の立派な建物があった。この珍しい名前を聞き、実は25年くらい前にテニスの合宿に来た時に寄ったことを覚えているが、そのときにどんなものが展示されていたかは全く覚えていない。


















その隣の合掌造りの農家屋敷は、江戸末期の建物で「能都町郷土館」となっている。能登地方の漁具や生活民具、古美術品などが展示されている。


















その近くのこちらの建物は、「能都町歴史民俗館」で、ここへ入った。大正時代に建てられた地元の網元の居宅を移築したものだという。館内には、能都町に伝わる水産資料が展示されているという。





































「能登巡見」で斉泰は、隣村の藤波に着いたときに大勢の随行人と共に鯨捕りをご覧になっているが、この絵は、前日のうちに捕獲した鯨を浜へ上げる場面で、2頭の親子鯨の長さは27mと18mのものだという。この板図はあとで絵師がその時の光景を描いたもので、奉納額が今も神目神社に2枚残っている。絵図には2頭の鯨のほか、梅鉢紋の垂れ幕や殿様の籠、多くの随行人が描かれている。


















13代加賀藩主前田斉泰が使った御用鍋


















13代加賀藩主前田斉泰が能登巡見で能都町に来て、お台場や武器蔵、乙ヶ崎屋の本陣に宿泊したことやクジラ見学したことなどが記されていた。


















能都町は鯨街道と言われ、249号線沿いの藤波、波並、矢波は定置網漁業で生活を支えてきた漁業町であり、鯨にまつわる文化財や伝説が多く残っているという。今は鯨がこの辺に多くる話は聞いたことがないから、随分変わったものだ。先日、大阪湾や東京湾に鯨が来たということで大騒ぎになったニュースを見たが。
























また、イワシの大量で、食糧用ではさばききれず、肥料用の〆粕にするために2~5月は港に黒煙が覆い、イワシの山があちこちにあるという。