東京(3)品川神社①の続きで、さらに境内には多くのものが置かれている。
社務所横にある「手水鉢」には、珍しく河童の像があり、水難除け、無病息災を願うカッパだそうだ。そして上の板には葵紋と祭事の神輿の様子が描かれた絵馬が掲げられている。徳川家から崇拝を受けていたことが分かる。
「神楽殿」の隣には、祖霊社が鎮座している。
「品川女子学院」の所で、左に曲がり坂を上がると陸橋に出る。その下は電車の線路が非常に多くある場所である。新幹線、東海道線、横須賀線、京浜東北線そして山手線と5線路が走っている。全国でも最もよく電車が走っているのを見ることができる場所のひとつで、数分眺めていれば何本かが通っていく。
「御殿山庭園」は、「御殿山トラストシティ」内の南側の一角にある。以前は「御殿山ヒルズ」といっていたが、ホテル、マンションがあるツインビルが目印になっていて、他に品川教会も入っている。その一角に庭園がある。
このあたりは旧原邸があったころの庭園そのままだろう。
この「御殿山トラストシティ」の敷地は以前、明治・大正時代の実業家の原六助が土地を購入し、その一角に養子の実業家である原邦造が1938(昭和13)年に自邸を建設した。設計者は当時の代表的な渡辺仁で、東京国立博物館本館や銀座の和光本館(旧服部時計店)などを手掛けている。しかし戦後GHQに接収され米軍将校の宿舎となった。接収解除後は外務省公館、フィリピン大使館、セイロン(現スリランカ)大使館となったが、その後10年以上は使われなかったが、原邦造の孫の原俊夫氏が、1979年に私邸を現代美術の原美術館を創設した。当初は、日本では現代アート専門の美術館は珍しく、「わけのわからない美術館はお客さんは来ないよ」と言われたりもしたとかで、かなりの異色の存在であった。現代美術館と言えば金沢の21世紀美術館などがあるが、ここがその先駆けである。
私も金沢に来てから、東京見物をしたときに原美術館に入ったことある。建物もそうだけど、展示されている美術品も従来のもと違う面白い作品があったと記憶している。その建物の内部にカフェテラスがあり、そこからこの庭園が眺められたと記憶している.
その原美術館も2020年に閉鎖されが、今は群馬県渋川市にある「ハラミュージアムアーク」として後を引き継いでいるという。
下図の江戸時代中期の品川周辺の地図を見ると、現在と同じ位置にあるのは「東海道」と「目黒川」だけである。地図の中央には「御殿山」があるが、3代徳川家光が鷹狩の際の将軍の休憩所や幕臣を招いた茶会に利用される館があったといわれる。見晴らしの良さから防衛の拠点としても使われていた。8代将軍吉宗の時代には、御殿山に桜が植えられ、花見の名所となった。
しかし幕末には、開国を求めるペリーの来航を阻止するために、砲台を備えた品川御台場が作られる。海中を埋め立てて砲台を築くために御殿山は北側をえぐり取るように大きく崩され原型を失ってしまったという。地図の赤印の点に砲台があった場所である。
江戸時代の桜の名所の御殿山から見た品川宿、江戸湾の絵図は葛飾北斎や歌川広重など多くの浮世絵師が描いている。