2022年12月21日水曜日

東京(2)北品川商店街

 東京(1)の続きでその後、一緒に行った妻が以前住んだいた近所の親しくしていた人と会い、駅前のカフェで現況とこの辺りの変わりようなどついて話を楽しんだ。そしてその後その人と、今まで私はあまり行かなかった「品川駅南口」を歩いた。

私たちがいたころは駅北口の前にデーンと建っていた「パシフィックホテル」が壊されている最中だった。今後ここは「リニア新幹線」の施設になると言っていた。

続いて、品川駅もすっかり変わったが、下の写真は駅構内の様子で、朝の東京のテレビに毎日のように出ているところだと言っていた。



















南口は、35年前とすっかり変わって大きな会社のビルが乱立しており、企業戦士が多くみられところだ。ビルの中にレストランやカフェも多くあり、平日の昼間にも関わらず多くの人を見かけた。この橋は少し古そうだが地図で見る限り「高浜運河」に架かる橋であろうか?


















さらに歩いていくと防潮のための「天王洲水門」がある。この辺りは、埋め立てられた運河が連なっている所である。
向こう岸に置いてある「帆船」は、明治時代から昭和初めまで使われた「東京水産大学?」の実習船「雲鷹丸」で、重要文化財になっている。

40年前にきた「天王洲アイル」付近は、空き地やグランドしかなかったという思い出があるがすっかり変わってしまった。


品川駅付近のホテルに泊まった後、次の日に品川駅から、昔よく行った「北品川商店街」を歩いた。下の写真は駅方面から見た新八ツ山橋方向をみる。ツインビルがある場所は「御殿山ヒルズ」で、右側の森は「三菱開東閣」である。

旧八ッ山橋を渡ると「北品川商店街」に入る。ここに「東海道品川宿まち歩きマップ」の案内板が掲げられていた。ここは東海道53次の最初の宿場町として繁栄し、勝手は数多くの旅籠が並んでいたという品川宿があった所である。京急の北品川駅から青物横丁駅にかけてがその中心で、目黒川をはさんで北品川宿と南品川宿に分かれていた。
















今は、江戸時代と同じ道幅の旧東海道に沿って商店街のび、往時をしのばせる古社寺や史跡もあちこちに残っていて、歴史散歩が楽しみな雰囲気の通りである。この道路は中央の車道が狭く、両側の歩道が割と広いが、車がすれ違う時は歩道にはみ出さざるを得ないが、それとも一方通行なのか、あとで気になった。












「プレシス品川」のマンション前に夜になったら「東海道品川宿」の明かりが点くのだろう。


















ここには、昔懐かしい雰囲気の果物屋さんもある。


















こちらは履物屋さんと昔懐かしい「たばこ屋」さんが横にある。私の子供時代の昭和30年代頃にはよくあった履物屋さんもたばこ屋さんも金沢でもほとんど見かけなくなった。


その向かいには「一心寺」というお寺があり、ここは1855(安政2)年に大老・井伊直弼が開山した寺だという。この近くに台場が築造されていたが、その守り神であろう。
江戸三十三観音霊場の札所でもあり、延命や商売繁盛のご利益があるという。
































ここのご本尊は不動明王である。


















こちらに家は、前の2階と横側が草花で覆われている。
























参勤交代の諸大名や公家・門跡が宿泊・休憩した「品川本陣跡」の石碑が立っていた。ココの公園は「聖蹟公園」といって、1868(明治元)年に東幸する際の行在所となったことからこの名が付いたという。


















大通りの手前を右に曲がると、浄土真宗本願寺派の「日夜山正徳寺」というお寺があった。