2022年10月24日月曜日

金石・粟ヶ崎歴史探訪(1)金石 観田家住宅

今回は、埋蔵文化財センター主催の「金石・粟ヶ崎歴史探訪」に参加した。約20人くらいが参加し、金沢駅からバスで金石の入口の、以前は「銭五記念館」だった「金石商店街協同組合」の建物付近で下車した。

こちらでは、赤い制服を着た金石の女性ボランティアガイドさん数人に説明を受けながら金石の町を歩いた。

まず「こまちなみ保存地区」にある「観田家住宅」に行った。以前個人的に巡った時は、家の中は見ることができなかったが、今回は入ることができたので、住宅の中を中心に紹介する。

以前のブログhttps://kanazawa-burari.blogspot.com/2021/02/blog-post_11.html



















風流な玄関から入る。


















「観田家」のお仏壇

























五百石船の底板を転用したと伝えらえている廊下からは、建物の横にある蔵の外壁が洒落た文様が見え、腰回りは戸室石が貼られている。


















奥の「広間」は10畳の洒落た数寄屋風の主室で、1間半の床に磨き丸太の床柱が立ち、掛け軸のかかった床の間の横には丸窓の障子と付書院が付く書院座敷である。


















広間の横の次の間の「三松閣」は「広間」と同じ紅殻色の壁で、炉はないが畳の前には1畳の地板があり、左横には墨蹟窓を付け、天井は1段下げた網代張りとなっている。
























広間の周りには土縁があり、外の庭が見える。庭にはいくつかの灯篭や、木々や石などが据えられている。
































茶室前の水屋の上には素晴らしい欄間が見える。


















待合室から露地越しに見る茶室「颯々庵」の躙り口が見える。


















この茶室は地板の上に斜めの床を構え床敷き、床板敷の部分を人の動線に使う手法は、表千家6代覚々斎好みの3畳台目とよく似ているし、また、点前座の中柱や下地窓と釘柱棚を組む合わせた構成は、裏千家無色幹を模したものであろうという。






































外にある蔵は土壁の上に木造で囲いが付けられている。この辺りは海に近いので塩害による土蔵を守るために付けられているという。