この辺りは随分前に野町通りの向かい側を紹介したが、今回は有松に向かって野町の通りの右側を歩いた。こちらの方は道を広げるために順番に後ろに下がっている。金沢で唯一「石置き屋根」が残っている「森紙店」は、「曳家工法」で後ろに下がった建物である。
その先には「因徳寺」というお寺があるが、ここも後ろに下がったおかげか、山門と本堂の建物が残っているが、塀が片側に少し残っているだけで、以前のお寺の様子とは変わっているように思われる。
本堂の左には立派な鐘楼があるが、野町・寺町地区で毎週土曜日の午後6時に一斉に鳴らす鐘の一つである。
境内には狂歌で一世を風靡した瀬波屋鶏馬の墓がある。
屋根下の「サガリ」の下に赤い暖簾で「らくがん」と描かれている。店前には「金澤西會所」の標柱が立っていたが、藩政期には西町にあった「町會所」の西支所のようなところだったのか?藩政期の地図では見たことないが。
その隣には、「天祐」と描かれた看板を見ても分かるようにかなり古い味噌醤油などを醸造・販売している「中初商店」という店があった。ここの店の前で写真を撮っていると、女将さんが出てきて「どうぞお入りください」と言われた。
茶の間の囲炉裏跡の横の板の間を開くと、戦時中に作られた立派な「防空壕」が残っていた。金沢の町中で、こんな立派な「防空壕」を見るのも初めてだ。現在、ウクライナが戦争状態だが、こういう「防空壕」のもっと大きいものがたくさんあるのだろう。
この建物も道を広げるために下がらなければならないが、女将さんは建物を残したいので、「曳家工法」で下がることを希望しているという。珍しいものを見せていただいた。
帰りにここの天祐味噌と醤油を買ってきた。