2022年6月22日水曜日

野町界隈(1)因徳寺 中初商店

この辺りは随分前に野町通りの向かい側を紹介したが、今回は有松に向かって野町の通りの右側を歩いた。こちらの方は道を広げるために順番に後ろに下がっている。金沢で唯一「石置き屋根」が残っている「森紙店」は、「曳家工法」で後ろに下がった建物である。













その先には「因徳寺」というお寺があるが、ここも後ろに下がったおかげか、山門と本堂の建物が残っているが、塀が片側に少し残っているだけで、以前のお寺の様子とは変わっているように思われる。



















山門・本堂ともに六本柱で創建の年代に近い江戸初期の様式を残している。本堂の向拝虹梁および蟇股が趣深い造りになっている。本尊は一尺七寸の阿弥陀仏であるという。


















本堂の左には立派な鐘楼があるが、野町・寺町地区で毎週土曜日の午後6時に一斉に鳴らす鐘の一つである。











































境内には狂歌で一世を風靡した瀬波屋鶏馬の墓がある。


















さらに先には、金沢の藩政期からの有名な和菓子屋の「諸江屋」の新しく改装された店がある。一階屋根上に「落雁」の古めかしい看板がかかっている。


















屋根下の「サガリ」の下に赤い暖簾で「らくがん」と描かれている。店前には「金澤西會所」の標柱が立っていたが、藩政期には西町にあった「町會所」の西支所のようなところだったのか?藩政期の地図では見たことないが。


















その隣には、「天祐」と描かれた看板を見ても分かるようにかなり古い味噌醤油などを醸造・販売している「中初商店」という店があった。ここの店の前で写真を撮っていると、女将さんが出てきて「どうぞお入りください」と言われた。


















店の間を通り、その中には今まで見たこともないような吹き抜けの天井で、太い梁のほかに縦横無尽に張り巡らされた細い梁の奥に小さく明り取りの窓が見えた。ここは文政年間に建てられたものだというから200年くらい前のものだ。これまで見たものは幕末の約160年前のものが多いからさらに古いものである。その横には囲炉裏などがある居間で、トオリニワの奥には蔵があるという。今の店は3代前くらいの先祖が明治時代に買ったものだという。
























囲炉裏のそばに鎌倉彫のような立派な木で作られた衝立が置かれていたが、これは先代が中国などで買ってきたものではと言っていた。その上に家紋入りの提灯箱と大福帳が掛けられていた。


















店の間の2階には部屋があり、壁には障子窓が見えた。茶の間の上は廊下になっていて、さらに奥の部屋とつながっているという。ここは、藩政期の「北国街道」沿いだから、古い商家の建物が残っているのだろう。


















茶の間の囲炉裏跡の横の板の間を開くと、戦時中に作られた立派な「防空壕」が残っていた。金沢の町中で、こんな立派な「防空壕」を見るのも初めてだ。現在、ウクライナが戦争状態だが、こういう「防空壕」のもっと大きいものがたくさんあるのだろう。


















この建物も道を広げるために下がらなければならないが、女将さんは建物を残したいので、「曳家工法」で下がることを希望しているという。珍しいものを見せていただいた。
帰りにここの天祐味噌と醤油を買ってきた。