4月に 成巽閣で、特別公開の「雛人形道具」の展示とともに今まで非公開だった庭園の「飛鶴庭」と茶室「清香軒」が見れるということで行ってきた。
いくつもの前田家伝来の雛人形雛道具が飾られていたが、藩主の姫君たちの大名婚礼調度品として中心的な役割をしていたと思われる。金沢城の古図に記された雛土蔵には姫君たちの数々の雛人形・雛道具があったと伝えられている。
下図は雛人形とともに飾られたミニチュアサイズの琴や三味線などの楽器であろうか?
下図は勝興寺にある11代藩主治脩が子供の時に入寺の際に使用された駕籠
こちらの「飛鶴庭」と「清香軒」は、専門員が説明してくれた。「飛鶴庭」は昭和4年に国の名勝指定を受けた庭で、典型的な平庭造りの手法からなっている。ちょっとひねれた古木の「五葉松」が「飛鶴庭」の名前の由来となっている。一面が苔むす平庭に辰巳用水から分流された曲水が流れ、灯篭や大きな飛び石が園内一面に巡らされている。また、赤松や高野聖などの喬木や八汐・ウメモドキなどの灌木が点植されている。
「清香軒」茶室の躙り口付近の二方に軒を出してその下の土縁に自然石が置かれ、一部に鑓水が流れ、雨戸が入れられている。二重の土間庇は長いので、雪深い日のも茶事ができるようになっている。
鮮やかな色石が組み込まれた沓脱石も置かれている。
飛鶴庭 清香軒平面配置図
「清香軒」はカメラ禁止なので書籍から紹介する。鮎の廊下の東北端に位置し、京間で三畳台目、向う切りの茶室である。席入りには明かり障子2枚の貴人口、板戸2枚の躙り口がある。杉柾板の平天井で、赤松皮付きの細字と白竹を交互に渡している。
台目畳には火燈計の茶道口が付いており、襖2枚を隔てて清香書院に続いている。床は原艘床といわれる踏込床で、地板には楠床の1枚板が使われている。床柱には方竹が用いられ、袖壁には墨跡窓が付いている。
「清香書院」は謁見の間の床の間の背後に位置し、京間、8畳、本勝手の広間である。正面中央に1畳の床の間を設け赤松皮付きの床框を鍵形に廻している。左側には藩畳半の天袋および地袋が付いている。右側も半畳大の敷込板となり、中央に香炉が吊ってある。この書院から障子を開ければ、「飛鶴庭」の景が望める。
床脇の壁は天袋より少し落とし海唐松といわれる黒珊瑚で止め、床の間との間を透かしている。