2022年4月27日水曜日

城北通(2)旧森下町②

 城北通(1)旧森下町①の続きで、通りの反対側を「浅野川大橋」方面から紹介する。橋の横には、以前鉄塔の「火の見櫓」がある。この鉄塔は、1924(大正13)年に建てられたもので、犀川の蛤坂の鉄塔と同じ規格で、同時に築造された。高さが約30mで、正午には時報、そして戦時中には空襲警報としても使われた。昭和46年には老朽化により、危険ということで上部を撤去された。かっては半鐘やサイレンも付いていた。

























「浅野川大橋」から鳴和方面を見る現在の「城北通」で、この辺りは藩政期は参勤交代の江戸へ行く通り道で、明治、大正時代も結構栄えたところで、大きな店が並んでいたという。その名残が少し感ずる所である。
























その先に、「東山1丁目」の小路の角のある家の窓には「スムシコ」という竹のすだれで作った格子の建具で、藩政期の町屋には「スムシコ」が多くかかっていたが、この辺りではここだけになってしまった。茶屋街にある「キムスコ」と同じように「中から外は見えるが、外から中は見えない」が、外の光は入ってくる。少し前までこの「スムシコ」はだいぶ痛んでいたが、新しく改修されたようだ。



















小屋根にレトロな店の名前が描かれた外灯が付いている町家は、観光客目当ての「ごはん」やおでん、ノドグロなどを扱っている。



















その隣は、元氷屋さんだったところを改造して「ちょっと飲めるビール」屋さんになっているが、いずれも観光客目当ての店のようだ。



















この辺りでは一番大きかった老舗店「米沢茶店」は、間口は広い昔ながらの典型的な商家である。前田利家の家臣米沢助左衛門が祖で、その後14代前田慶寧の卯辰山開拓に尽力した。明治9年に米沢喜六が茶商を始め、この辺り商店の区長も務めた由緒ある店である。

































「茶」の額や暖簾、その他店の中の置かれているものは、いずれも年期が入っているようだ。


さらに歩くと、2階が灰色がかった壁に出窓や風変わりな煙突(?)がある大きな三角屋根の町屋には「味の十字屋」の看板がかかった大きな店がある。この店は、「芝寿司」や「和菓子村上」、「飴の俵屋」、「九谷焼 諸江屋」など有名店が数店入っているので、お土産としていろいろ選べられる店だ。以前は「つばたや呉服店」という大きな老舗があったところである。



















この「十字屋」の店の中に、武蔵が辻の人気店の「フルーツむらはた」が入っているので、観光客が多くなれば、女性客でいっぱいになる店だ。



















小路を挟んでその隣には、今は観光バスの駐車場になっている広場がある。その昔「ムービー菊水」という映画館があったところである。私が高校生の頃に、ここで3本立ての映画をやっていたので長い時間この映画館に浸かっていたという印象がある。















さらに歩くと「清水澄先生誕生之地」の石碑が建っていた。「清水澄」は、ここにあった表具屋で生まれ、東京帝国大学を卒業し枢密院議長まで務めた憲法学者である。堅物の明治憲法に生きた人物で、現日本国憲法が施工された日に自害した。乃木希典と接点があったが、乃木は「明治天皇に殉死」し清水は「明治憲法に殉死」したという。