城北通(2)旧森下町②の続きで、もう一つ奥の観光バスの駐車場の向かいには、九谷焼やガラス器などのアンティーク商品で有名な「眞美堂」がある。その隣には金沢市立「安江金箔館」がある。東山茶屋街付近は昔から金箔を作っていた所で、民営の金箔館がいくつかあるが、ここは公営の金箔館である。私も一度は入っがことがあるが、金箔に関する美術品や金箔の性質などを紹介し、厚さ1万分の1ミリメートルの金箔の作り方の工程などを紹介している。
「東山」の交差点を斜め左に曲がった所に「旧森下町」の標柱がある。「藩政初期、森下村の郷士、亀田大隅の子孫が染工になって居住していたので、この名がつけられた。本町の一つ」とあった。
その先に大きな建物「馬場小学校」がある。明治3年に「馬場小学所」として設立され、明治20年に「馬場小学校」となったというから、もう150年以上になる。
木の案内板に「徳田秋声」、「泉鏡花」、「尾山篤二郎」の年譜が描かれていた。3人とも大体同じころの明治10~30年代に馬場小学校を卒業している。
この三人のほかに、深田久弥(火にも水にも)・古井由吉(雪の下の蟹)・五木寛之(浅野川暮色)・森山啓(市之丞と青葉)・水芦光子(雪の喪章)なども、この辺りを小説としたものがあり、浅野川のほとりを散策して、作品に出てくるようなしっとりとした情緒に満ちた雰囲気が、今でもそのまま残っている所である。
下図の藩政期の古地図の人持ち組「横山中務」の屋敷辺りが今の「馬場小学校」となるが、この辺りは、小松城に隠居していた3代藩主利常が亡くなった後、小松にいた藩士が残らず帰ってきて、この辺りに住居を構えたという。また、足軽組地もあった。