2022年4月23日土曜日

城北通(1)旧森下町①

今回は、「浅野川大橋」から鳴和方面を歩いた。この道路の山側には「ひがし茶屋街」と「卯辰寺院群」がある「重要伝統建造物保存地区」となっており、現在は観光客が多いところである。「茶屋街」という遊興と「寺院群」という神聖な地が隣り合わせの場所でもある。




















藩政期には、金沢は南部よりも北部の街道が重要視された。加賀前田家の参勤交代は、北回りの北國街道をよく利用したので、「浅野川大橋」の外には「森下町」、「金屋町」、「高道町」など道路沿いには商家が連なっていたという。













藩政期は狭い道路だったが、大正8年に金沢に市電が営業し、11年に大樋線(橋場町~小坂神社前)通すということで、道路が拡張された所である。下の写真を見ると、右の方の家が大きく下がっているのが分かる。


その下がったところにある現在の建物は、その当時に建てられたまま残っている所である。




今の「観音町」の角にあるビルはその時に建って、今でも外観は改装しているがそのまま残っている。ここは、以前は銀行であったが、今はフランス料理の店「ビストロ」が2階に入っている。ちょっと高価なので、私は入ったことがないが、店内は大正ロマン漂う店で、質の高い食材を使ったフランス料理にワインも豊富にそろっているという。一度は入ってみたいものだ。
























その隣には、藩政期からやっているという「綿谷小作薬局」があるが、3階建てで、1階上の庇が2重になっている立派な町家である。観音院でお神籤を引いたら、「下の薬屋で引き出しの何番目の薬をもらうとよくなる」とあり、それがこの薬屋だと聞いたことがあるが(?)それと松尾芭蕉が金沢に来た時に連れ添った「立花北枝」に師事し、伊勢派俳人の第一人者の「綿谷希因」の子孫の家であると聞いたことがある。



以前は、ここでお客さんの症状に合わせて薬を調合して渡していたが、今はやっていないという。奥がその調合室のようだった名残が見える。


















店には薬が並べられている中に、藩政期に使われていたという「引き出し」と薬をつぶす「薬研」が当時をしのばせる。


その隣には、これも2階建ての上に「明り取りの窓」が出ている古い町家の建物は「酒屋・森田商店」である。


















ここは、現在地酒や焼酎、ワインなどが並べられていて、観光客もよく買っていくようだ。他にグラスや小物も売られている。


















昔懐かしい「モダニズム時代のサッポロビール」のポスターが貼られていた。