珠洲国際芸術祭(1)見附島 さいはてのキャバレーの続きで、その後、旧奥能登鉄道の最終駅の「蛸島駅」についた。旧奥能登鉄道といえば、廃線になって久しいが、穴水駅から蛸島駅まで約60kmに30駅もある鉄道で、一駅一駅が非常に短かった。私は一度だけ乗った記憶がある。東京に就職した次の年の夏に帰省した時に、同級生の親が「恋路海岸」で民宿を営んでいたので、そちらの方に遊びに行った時にこの電車に乗って行った。海沿いを走る眺めの良いところだが、何しろ単線で一駅一駅で止まっている時間が長く、帰りは混んでいて、穴水まで立ちっぱなしで2時間近くかかったという記憶がある。
この空間から双眼鏡を覗くと、能登鉄道の終点だった旧蛸島駅の先に作家からのメッセージが見える(Something else is possiblue)(?)。かっての終着点とその風景の先にある未来を望むという。
昼時になったので、蛸島駅付近の食事処に入ったが、満員だったので少し走り、「珠洲ビーチホテル」のレストランで「ビーフカレー」を食べた。肉は柔らかくおいしかった。
さらに進むと「珠洲焼資料館」があった。残念ながら資料館は休みで中は見れなかったが、建物の脇に中国の第一の陶都・景徳鎮の磁器と中世日本を代表する焼き物珠洲焼を混在させ、大陸との交流や文化のあり方を問う作品だという。
靴やスリッパなど日常に使うものを焼き物した変わったもあった。
「珠洲焼資料館」の向かいには「珠洲焼館」があり、そこにはいった。「珠洲焼」は、須恵質の中世陶器で、器面を叩き締めた条線状の叩き目に技法上の特徴があるという。器種も多くあって、甕・すり鉢・壷などの日用雑器が主体であるが、花瓶・水差し・小仏・神像・経筒・椀などもあり、かって能登を代表する特産物として量産されたという。
ここには多くの高級そうな珠洲焼の品物が販売されていた。