「放生寺」の裏に「醒ヶ井公園」がある。
さらに「まめだ大通り」を渡ると「金石線」の線路跡がそのまま通りになっていることがカーブしていることからわかる。
この辺りは昔ながらの路地で狭く、住居が密集していたが、平成6年度よりの区画整理によりに、道路や下水道などが整備され、住環境が整い防災効果も上がったことなどの完成石碑が建てられていた。
憩いの場所として作られた長田公園
藩政期には「宮腰」までのまっすぐな道「宮腰往還」が通っていた。この道は3代藩主利常が、街づくりの一環として、宮腰の港まで1615年に建設したものだ。同じ時期に寺町の「野田往還」や小立野の「石引道」のまっすぐな道も作っている。そしてこの辺りには、「前田土佐守家下屋敷」があった。
「宮腰往還」は現在は「金石街道」として大変広い通りになっているが、昭和47年まではこの通りの右側には「北陸鉄道金石線」が走っていた。