2021年9月6日月曜日

旧醒ヶ井町界隈 金石鉄道 なかばし駅

 「放生寺」の裏に「醒ヶ井公園」がある。




















平成7年度に周辺の区画整理により、道路や公園なども整備し、災害なども強くなり「旧醒井町」から「広岡町」や「中橋町」ができたとあった。



















公園の一角に「旧醒ヶ井町」の標柱があった。「藩政時代は北広岡村領の請地で、前田土佐守の下屋敷(家中町)があった。目の醒めるようなきれいな水の井戸があったことから、明治2年、町名となった。」とあった。
























この辺りに、北陸鉄道金石線の発着駅「なかばし」の駅舎があったところだ。この駅には私が小学校低学年の時に親に連れられて「金石海水浴場」に行ったときに、来てるはずだが全く記憶がない。















さらに「まめだ大通り」を渡ると「金石線」の線路跡がそのまま通りになっていることがカーブしていることからわかる。







この辺りは昔ながらの路地で狭く、住居が密集していたが、平成6年度よりの区画整理によりに、道路や下水道などが整備され、住環境が整い防災効果も上がったことなどの完成石碑が建てられていた。












憩いの場所として作られた長田公園

ここ辺りには、高齢者福祉施設「金沢中央の立派な建物や創始者の胸像や灯篭が置かれていた。「朱鷺の苑」は石川県を中心に特別養護老人ホームやケアハウスなどさまざまな介護施設をてがけている。


























藩政期には「宮腰」までのまっすぐな道「宮腰往還」が通っていた。この道は3代藩主利常が、街づくりの一環として、宮腰の港まで1615年に建設したものだ。同じ時期に寺町の「野田往還」や小立野の「石引道」のまっすぐな道も作っている。そしてこの辺りには、「前田土佐守家下屋敷」があった。




















「宮腰往還」は現在は「金石街道」として大変広い通りになっているが、昭和47年まではこの通りの右側には「北陸鉄道金石線」が走っていた。