能美市巡り(2)能美ふるさとミュージアム②の続きで、さらに展示物を見た。能美市が所有している「絹本着色白山曼荼羅図は、寛政時代(1789年)に白山ヒメ神社本殿の建立に関わったという加賀藩御用大工が寄進したもので、筆者は金沢の郷土史家楠部肇と考えられている。白山はなだらかで女性的と言われているが、富士山、立山とともに日本三名山とされ、加賀馬場(禅定道)と白山三所権現(御前峰、大汝峰、別山)の仏神の座とされた主峰群を描いている。右に別山、左に大汝峰、真ん中に御前峰を置き、禅定道は朱色の点線で表し、各所の場所の名札で書き入れている。
この「能美市」には、1925(大正15)年から1980(昭和55)年まで北陸鉄道の「能美線」が走っていた。鶴来から寺井駅(現根上駅)まで23駅があり、金沢市の白菊町駅から鶴来経由で直通で寺井駅まで走っていた。朝は通勤、通学に昼は石材や肥料を運搬していたという。
私はこの電車に一度だけ乗ったはずである。それは小学校3か4年の時に「辰口温泉 まつざき」に学校から修学旅行(?)で行った記憶がある。その時、手取川の「天狗橋」を渡りすぐに、トンネルに電車が走ったときに、興奮していた記憶がある。
別の日に、ここ能美市が「旧石器時代」から人が住んでいたという発見のきっかけとなった「灯台笹跡」を見に行った。途中に「灯台笹公民館」で少し話を聞こうと思っていたが、閉まっていた。その前に「能美線」時代の停留場の看板が建っていたので、この辺りを走っていたのだろう。