2021年9月11日土曜日

能美市巡り(1)能美ふるさとミュージアム①

今回は、私が好んで読んでいる新聞の中に「リレー連載」で、先日「能美は2万年前から」というテーマで6回シリーズで連載されていた。

能美市は2万年前から人が暮らす土地だったいう。それは、歴史を変えた大発見があったからだという。そして1200年前に付けられた地名には「美しき能(よ)き国」という意味が込められているという。

読んでみると非常に興味をそそったので、仲間と一緒に「能美市ふるさとミュージアム」に行った。ここは、昨年10月にオープンしたばかりの新しいミュージアムであった。












旧辰口町の「灯台笹」(とだしの)という所から、私たちと同じ世代の1960(昭和35)年に当時中学生だった少年が、自分の裏山の畑から木の葉のような先が尖っていて刃を作りだしたような石が見つかった。この石は少年が「絶対に縄文時代より前の石器だ」と思い、3年後に木の葉の石は2万年前の旧石器時代に、槍の先などに使われたものだと判明したという。これが能美市の歴史を変えた大発見だった。




















旧石器時代の石の先端をとがらせる方法をビデオで映し出していた。



















先端の尖ったナイフ形の石器により、動物の肉を切ったり、皮をなめしたりし、狩りや料理の道具として使われた。
このころの日本は北海道にマンモスがいたり、ヒグマが九州より南しかいないという寒い時代であったようだ。











15000年前くらいから土地は温暖になり、縄文時代には人々は土器や弓などを作るようになり、それまでの遊牧生活から定住生活になった。




















その後弥生時代には稲を作るようになり、ご飯が炊ける「甕(かめ)形土器」も作るようになった。
































弥生時代の後、400年にわたって古墳時代になり、ここ能美市に全国的にもまれな多くの古墳の跡が見つかり、出土品も多く出た。能美市とりわけ「寺井地区」に「和田山」、「寺井山」、「秋常山」、「末寺山」、「西山」の5古墳群は「能美古墳群」として2013年に国の史跡となった。



















前方後円墳や円墳など様々な形の古墳が見つかり、出土品も非常に多く出た。



















和田山古墳から出土された「鉄斧」、「鉄鍬」、「鉄刃」などのレプリカ



















古墳時代の豪族が身に着けていた鎧、兜の出土品のレプリカ
























ここの古墳は木館や副葬品が数多く出土し、力のあった豪族と思われる。また当時のヤマト王国とつい良い結びつきがあり、出土品から朝鮮、中国からのものがあり、大陸と強い結びつきがあったという。日本海に突き出た半島であるから、朝鮮、中国のものが日本海から届き、それをヤマト王国に送る役割もしていたのか?













この立派な「能美ふるさとミュージアム」を見て、古墳群のみならず、2万年前の旧石器時代から始まる能美市の歴史ロマンをこれから「ふるさと教育」や観光振興に強く生かしたいという思いが感じられた。