2021年7月19日月曜日

堀川町界隈(1)

 前回は、「昌永町・京町界隈」を歩いたが、今回は「中島橋」の向かい側にある「堀川町界隈」を歩いた。ここは、東大通、浅野川、JR線に囲まれたところで、「金沢駅」には近いが、まだ古い家並みが残っている地帯である。駅から東大通に入ってすぐに大通りがあるが、この通りの先は浅野川に沿って、粟ヶ崎・内灘に通じている。




















大通りの左側には、今はコロナ禍で休業中だが、先輩に誘われて時々行くカラオケの「ホームラン」が入っている大きなビルがある。その先には「久昌寺」というお寺があるが、ここは次回に紹介する。



















交差点「堀川町北」を右に曲がると、前回渡った「応化橋」が見える。その先を行くと「乙丸陸橋」方面になる。



















右交差点「堀川町北」を曲がって、さらにすぐに曲がると、細い路地が二手に分かれる場所がある。真ん中の家は両側が路地になっているが、藩政期からある路地は細い道が多いので、このような所が他にもあるだろう。ここで、行き先を間違えると迷ってしまう。



















右手の路地を進むと「堀川町」の標柱があり、座布団は載っていた。「粟崎・大野等の港から、舟で金沢へ荷物を運ぶため、元和のころ浅野川を掘り開いたことから、このあたり一帯を堀川と呼び大いに賑わった」とあった。
























この標柱の脇には、大きな店をやっていた町家と思われる家を改修していた。奥の部屋には緑色の壁が見えたが、立派な商家だったのかもしれない。どんな風に改修されるのか?



















隣のある町内会の「堀川会館」も改修していた。



















この町屋は、薬屋と思われるが「高町家 2重庇」構造で、1,2階とも格子戸が入り、1階の庇の間と2階の壁は黒漆喰になっており、昔の店の看板がまだかかっている。



















こちらは、先のものより間口が小さいが同じように「高町家 2重庇」構造で、2重庇の間にはガラス戸が入っている。このような町家がまだ残っている所である。






この辺りは、非常に細い路地もいくつか残っている。