犀川の「新橋」の袂に、「こうや」と「たけし」という割烹料理屋が2軒ならんでいる。いずれも会社に行っているときに、宴会などでよく行ったところだ。「こうや」は飲み放題付き5000円などがあるので、テニスサークルなどの宴会の幹事をやった時によく利用した処だ。この場所は以前に大きな「料亭 かわ新」があった場所で、法事などで来たことがあった。この建物の木材を、現在片町にある「金沢学生のまち交流館」の建物に使っている。ここの立派な大広間の座敷から、この「かわ新」がいかに立派な料亭であったかが偲ばれる。
犀川大橋の一つ下流には「しんばし」がある。ここから見る大橋や医王の山並みの景色もすばらしい。
橋の袂にある小さな「しんばし」の名前の石碑があるが、いつ頃の建てられたものだろう。また「し」の字が漢字のようであるが、どんな漢字か分からなかった。近くの案内板には「昔は武家屋敷往来用」の橋と描かれていたが、いつ頃から橋が架かっていたのだろうか。
「新橋」から長町方向に向かって歩いていくと「浄誓寺」という「真宗大谷派」のお寺がある。もともとは小松市にある浄誓寺の支房だったため「小松御坊」ともいう。
境内には小松月尚の句碑がある。自然石で作られた碑には「蚊火焚いて五慾の我が家楽しけれ」の文字が刻まれている。
3階建ての町家はこの辺りでは珍しいが、3階の上にさらに屋根が見えた。1階が店でがあったようだが、何の店だったのだろうか?
隣の細い道に「お宿 いりたや」というふるめかしい宿屋があった。玄関には、白い暖簾、犬矢来、格子戸や古い看板などがあり、部屋には骨董調度品で彩られているという町屋旅館である。
さらに小路を歩いていくと、「土室御坊」といわれる「浄照寺」がある。寺の由来書によると、1458(長禄2)年の開基というから歴史は古い。はじめ能美郡にあったが、5代正慶のときに現在に移ったという。
山門の横には懸魚の下に獅子と牡丹(?)が彫刻されている。
本堂前の柱から突き出した部分に「象鼻」が付いている。
この寺には、非人清光の墓がある。清光は寛文末か延宝のはじめに資産をなくし、一時笠舞の非人小屋に住んでいて、刀鍛冶に励み、出来栄えが大変よかったので人呼んで非人清光と呼ばれたという。