2026年3月29日日曜日

野々市 椿まつり

今回は「野々市文化会館フォルト」で「花と緑ののいち椿まつり」が開かれていたので見てきた。(3月22日)













 室町時代に富樫氏が加賀の守護として野々市に本拠を置いたときに、京都をまねてこの地を築くために、近郊に伏見、山科、高尾など名づけ、地域の整備のために京都から椿を移したといわれているという。



















野々市の町を作ったという勇姿「富樫家通」が今流行りのかっこいいアニメのイラストが飾られていた。足元には家に関する民話にちなんで白狐が添えられている。


















その椿には下記のような「椿十徳」がある。


















展示されていた大きく咲いた椿の花














































椿の写真が展示されていたが、椿は花だけでなく葉や枝を含む全体の雰囲気がよい。


















椿を使った素晴らしい生け花の展示もされていた。


















































すべて貝殻で作った作品か(?)


















椿をあしらったコースターなど民芸品も並んでいた。


















建物の外にはt馬事の苗木が直売されていたので、適当に選んで二つ買った。



















2026年3月25日水曜日

山中温泉(2)絈野の大杉 八幡神社

 山中温泉(1)街並み 久谷磁器窯跡 久谷ダムの続きで、次に山中温泉の方向に戻ると、神社があり、そこに「昭和天皇行幸」の標柱がたっていたが、これは第2回国体が金沢であった折に立ち寄ったという。そして「天然記念物 絈野の大杉」の看板が掲げられていたので入ることにした。



















木で作られた橋のような参道を渡った。

























「絈野郷の由来」についての案内板があった。



















樹齢2300年と伝えられている御神木で、国の天然記念物となっている。幹の周囲は11m、高さ54mという巨木で、見上げると空いっぱいに緑の葉が広がっている。





































橋の両側に大きな春日灯篭が据えられ、その先に本殿がある。


















本殿前には「菅原神社」の扁額がかかっているので「菅原道真」を祀っているのであろう。太いしめ縄が掛けられている。


















本殿前には左右に珍しく参道に向けて縦長と横長の二つの狛犬が置かれていた。右側が口の開いた吽形で、左側が口の閉じた阿形である。
































「菅原神社」の前の通りの反対側を歩くと、小さな町並みの中に「八幡神社」がある。
創立は年代不詳で、ここの拝殿は天保15年に建立され、明治8年に「八幡社」に改名したという。
























この神社にも天然記念物の大杉があり、河岸段丘上に成立した菅谷集落の神域内に、神木としてこの大杉がある。俗に「菅谷の三又すぎ」と言われ、樹高38.5mで、地上3.85mのところで三つに分かれ、ほぼ同じ太さの3幹となっている。上の方は四方八方に8から10m広がっており、その美しさを讃えられている。伝説として面白い話が残っている。
昔々、村人たちは大杉を伐って帆柱にしようと相談したが、翌日、お宮さんへ行ってみると、三つの枝に別れ、帆柱にならない杉になっていてという。










































こちらの両側の置かれている狛犬は下方に子供を抱いている。
























拝殿前には金色に縁どられた「八幡神社」の扁額があり、正面扉には2羽の鳩の紋が付いており、側面には菊の花などが刻まれてた立派な扉である。




















境内には五重の石塔などが置かれている。
























こちらは「千歳を継ぐ二代三又杉」と立札が立っている。
























さらに「山中温泉」に向かって走っていると「道の駅」の横に古い電車が展示されていた。
明治33年から昭和46年まで大聖寺~山中温泉間を電車が走っていた。この「しらさぎ」という電車は、昭和38年製造で、日本初のアルミ車体の電車だそうだ。当時はロマンスカーとして観光客や大勢の通勤・通学者に親しまれたという。

















2026年3月19日木曜日

山中温泉(1)街並み 久谷磁器窯跡 久谷ダム

2月末に 久しぶりに山中温泉に行ってきたので、ついでに見てきたところを紹介する。着いた時間が昼時だったので、蕎麦屋に入って一服した。なかなかおいしかった蕎麦だった。



















街中を少し歩くと、元禄時代に松尾芭蕉が「奥の細道」で山中温泉に9日間逗留したという長谷部信連ゆかりの「泉屋」跡の標柱が立っていた。
























山中温泉の昭和初期の様子や大火があったことの写真など掲示されていた。その頃以前から山中尾根戦はかなりにぎわっていたようだ。
南加賀の北前船の人達は、冬の海に出られない間は山中温泉などで長く休養していたと聞いたことがある。
































ここからどこか見る所がないか「イラストマップ」で見たら、まだ行っていない「久谷磁器窯跡」が描かれていたので、そちらへ行くことにした。
山中温泉から大聖寺川に沿って上流側の道を進むとダム湖があり、さらに進むと右手にいくつかの焼き物の釜が見えた。
























雪に埋もれていたので近くまで行けなかったが、地図から見てもこれが「久谷磁器窯跡」であろう。比較的新しそうだったので復元された釜であろうか?
大聖寺藩主の前田利治が領内の陶器を発見したのを契機に、磁器生産を企画、1655(明暦元)年ころに久谷のこの地に窯を築き色絵磁器生産が始められたのが九谷焼のはじまりという。


















案内板もあるはずだが、雪のためどこにあるのか分からなかったが、その入口らしき建物が見えた。


















近くを荒々しく流れる「大聖寺川」で、さらに上流に行くと二つの大きな滝があるという。


















「大聖寺川」と福井県境の雪山が見える。


















ダム湖に架かる長い橋は「日置橋」


















「久谷ダム」の上流側






































この「我谷吊橋」は「我谷ダム」の建設に伴い、ダム湖を渡す吊り橋として架けられた吊橋である。富士山によく似た「富士写ヶ岳」(標高942m)の登山口でもある。


















2026年3月6日金曜日

初春の兼六園の梅林(2)

 初春の兼六園の梅林(1)の5日後に、、また近くに行く機会があったので、再度見てきた。

前回は、まだ小さく開いていた、この梅林で最も多い「白加賀」がかなり開いていて見ごたえが出てきた。





























苔庭の真ん中に灯篭が立っており、周りに赤や白、ピンクの梅が咲いてて、なかなかいい雰囲気である。











小川の辺にはピンクの梅。


























こちらは珍しいピンクのしだれ梅(?)名前は「紅枝○」と読めない。梅の名前はなかなか覚えられない。

























この濃い紅色のまだ蕾状態の梅は「摩利紅」
























何本もの「白加賀」の木がうねっているのが見える。


















赤、白、ピンクが多いこの梅林の中に、黄色の花が目立つが、これは「蝋梅」と言って、花の蜜蠟に似ていて、また蝋細工の梅に似ているからだという。甘い香りが特徴である。


















大きく鮮やかな濃いピンクの梅も見ごたえがある。
























この梅は「道知辺」と言って、淡いピンクから紫色に変化するという。