街中へ別の用事で行ったついでに「しいのき迎賓館」に寄った。館内では「 能登地震写真展」をやっていたので見てきた。
こちらから見えた「能登地震」による石垣の崩れはだいぶ修正されていたが、まだ完全じゃなくブルーシートがわずかに見えた。もう1年経たのになぜこんなにかかるのだろう。今回の地震による金沢城に石垣のずれやふくらみなどを元通りにするには15年かかると新聞に載っていた。
この写真展示会を開催しているカメラマンは、松任谷由美さんから去年の3月に「少し前に能登へ行ってきました。あの光景は、もっと多くに人に知らせなければならない」というメッセージもらった。
その後、石川県から依頼を受けて、4月から幾度か被災地を訪れてカメラを撮ったという。あまりにもすごい光景だったので、どう写してよいか分からなく目の前のものを写すしかなかった。
しかし7月に松任谷由美さんと宇出津で開かれた「あばれ祭り」を見に行き、燃え盛る松明の周りをキリコがひしめき合い、神輿を水や炎でボロボロになるまで破壊する、街を破壊した自然の暴威に直面しながらもさらなる破壊で応えて見せる人々の破棄に心が震えたという。祭りは全国の支援への感謝として行われ、実際にその活況は能登が震災から徐々に復興しつつある象徴に思えたという。
ある街では、復興はこれからで、まだ始まってもいないと被災した人が話してくれた。その時でも能登の人々は黙々と泥をかき分けて前に進もうとしている。地震に豪雨が重なった自然災害は一過性ではない。持続的な支援が必要になる。この光景は能登だけのものではない。私たちすべてが直視すべき目の前の光景として考えなけらばならないと言っている。
1階が完全に倒壊し、2階の屋根が残っている家の前に立つ「叔母さん」と地震前の写真と地震後の写真が並べられている。その前にメッセージが描かれていた。
軍艦に似ていたので「軍艦島」と言われた「見附島」は、能登半島のシンボルだったが、地震後崩れてしまってすっかり形が変わってしまった。私はここには何度か来ているので目に焼き付いている。
輪島市門前町の重要伝統建造物保存地区「黒島」の北前船の船主であった「角海家」の完全に倒壊した写真である。この辺りの海辺は4m隆起した所だ。私は2年半前に見学に来ている。昔の北前船で財を成した立派な家だった。
道路沿いの家々が倒れ、電柱も傾ている無残な風景である。
こちらの写真は、火災で一つのビルを残してほとんどががれきになっている「朝市通り」付近であろう。手前には車がペシャンコになっているし、陶器類が散在している。
こちらの写真はお寺が完全に倒れているので、珠洲市の正院町のお寺の本堂などの写真である。住職はいつ復興するか、全く分からないという。
道路の脇にがれきの山になっっている通りを買い物をした後、自転車を押している叔母さんなどいくつもの被害状況の写真が並べられている。
能登の人たちに向けた応援メッセージや展示会の感想が描かれた多くの封筒が置かれていてそれを読めるようになっていた。これは1か月前に東京でこの写真展をやった時に寄せられたものだそうだ。
他のカメラマンも別の場所で「能登地震」についての写真展をやっていた。「能登復興」のために何とかしたいという思いであろう。