2022年7月13日水曜日

野町界隈(3)千手院 光専寺

 野町界隈(2)旧三間道  諸江屋 少林寺の続きで、「北国街道」沿いに「三間道」の次の路地には「千手院」というお寺がある。その参道の右側には「千手院」の標柱が立っている。また、左側には「野町」の標柱がある。「藩政の初め、松林や雑木林などの地であったが、城下町の拡大に伴い町地となったので、はじめ泉野町といわれ、のち、略されてこの名で呼ばれるようになった。」とあった。

























参道の左側には、多くの地蔵おかれた厨子や六地蔵の厨子などが並んでいる。




















その横には、「西国三十三観音」が安置されている。















さらに奥には「千手院13世の供養塔」があるが、この塔は4mの高さがあり、「宝○印陀羅尼経」を納めた塔で、笠の四隅に隅飾りがあり、四方の塔身には仏と梵字が刻まれている。
























初代利家はこの寺を崇拝し、末森の合戦以降、歴代藩主の祈願所となった。十一面観音は前田家からの預かりものだという。前田家からの祈願書状が入っていた「経筒」は、精巧な毛彫りで鶴亀と松竹梅の吉祥模様が施されている。


















また、次の路地の所には「光専寺」というお寺がある。寺の前には「親鸞聖人御廟所」の大きな標柱が立っている。
























ここは、文明年間(1469~87)に、僧・慶緑が蓮如上人に従って加賀を布教した折に石川郡に創建。佐々成正の重臣・黒川又右エ門が当寺に入って僧となって4世となった。慶緑は本願寺と誓願寺の紛争の際に本願寺のために功を成した。


















本堂




















ここの鐘楼は、1692(元禄5)年の住持である寂道誓のために尾張町に住んでいた森下八左衛門正勝が寄進したものである。


























鐘楼は複雑な木造建築となっている。




















境内には2本の大きなクロマツが、金沢市の保存樹となっている。樹高が20mと18mあるという。
























墓所の横には白い大きな建物は「宝蔵」か?