2022年7月23日土曜日

総持寺祖院(2)


 総持寺祖院(1)の続きで、その後総持寺の中央にある異様に大きな建物「山門」を見た。2階建てで総ケヤキ造りで、高さが17.4mもあり、間口が20m、奥行き約14.4mで、1932(昭和7)年に当時の祖院監寺(監院)真鍋魯侑師の尽力と信者の祖院再建の熱意により、名工柴田真次氏が棟梁となって完成したものという。





















楼上に観音、地蔵の二菩薩を放光菩薩として安置し、廻りの高欄には十六羅漢、五百羅漢の古仏を祀ってある。また2階正面の「諸嶽山」の扁額は、前田利為公の筆になり、畳1枚の大きさがある。


















「山門」をくぐると、広い長方形の中庭があり、その庭を囲むように大きな建物が並んでいる。下図は境内の配置図








右手の大きな建物は、「仏殿」である。「仏殿」は1912(大正元)年に再建された入母屋造りで、真口20m、奥行き16.3mの宏大な建物である。


















内部には、正面に御本尊釈迦牟尼如来を祀り、右に大権修理菩薩、左に達磨大使の尊像が安置されている。左側の前の襖の書は山岡鉄舟の大作で、雄渾な筆跡は本院において書かれたものである。


















左端には、能登地震復興がなされたとして黒地に金色で「禅」と立派に描かれた板が置かれていた。

「仏殿」の手前にある建物は「香積台」で、1953(昭和28)年に再建された切妻造り2階建てで、中には総受付や僧侶の居室、接客室などを備えている。





「パンフレット」より









「山門」の向かいに位置する大きな建物は大祖堂(法堂)で、総ケヤキ造り、32m四方の入母屋造りの大伽藍で明治31年の大火の後、最も早く再建にかかり、1910(明治43)年に完成された。

内陣正面壇上に開祖瑩山紹瑾禅師、左右に高祖道元禅師と二祖峨山禅師および五院開基の各霊位を祀りってある。中央の大天蓋は加賀横山家の寄進によるもので、豪華金色に輝いている。

正面欄間に掲げられている14枚の欅の透き彫は開祖瑩山紹瑾禅師の誕生、諸国行脚などの一代記を謹刻したものであり、法堂正面の上部左右の見事な彫刻とともに、山形県高畠の高山富十親子二代と福島県二本松の彫刻師の力作であるという。


















中庭から左手にある建物は「僧堂」で、曹洞宗において、自己修行の座禅を行う最高の道場が座禅堂である。1930(昭和5)年に再建されたもので、間口20m、奥行き14.55m、重層瓦葺で、書院風の火灯窓と白壁が美しい。


入口には座禅のための合図に使うのか(?)鐘と太鼓が置かれていた。
























囲いがされていて中には入れなかったが、内部前には「選仏場」と大扁額が掲げられているがので、ここで朝夕修行僧が座禅に励んでいるはずだが、最近の新聞に大乗寺の雲水が一人もいなく、「僧堂」はやっていないと描かれていた。ここはどうなのだろうか?


















しかしたった今「ブラタモリ」を見ていて知ったが、この総持寺が「輪島塗」を全国に広めた理由であることが分かった。このお寺の「大祖堂」の内陣に置かれている多くの仏具は「輪島塗」でできているが、ここが曹洞宗の大本山であった頃に、ここでの修行僧たちが全国各地にお寺を作り、そこで「輪島塗」の仏具を使ったことから広まっていったという。