2022年5月12日木曜日

城北通(4)旧金屋町

 城北通(3)旧森下町③の続きで、「本江屋酒造食品」の店の斜め向かいに、立派な町家があった。ここは「ギャラリー&カフェ 椋」という店で、金沢市の提案もあり「金澤町家再生モデル」第1号として改修した町家であるという。130年前に建てたという町人系町家で、当時は材木商を営んでいて、その頃は、この辺りも大きな店が多く、 ここも間口が広くどっしりした町家である。




















中に入ると、広くて素晴らしい居間や座敷があった。お仏壇や床の間が見え、床の間の横の障子の桟の文様も洒落たものであった。



















ミセノマから奥までトオリニワがあり、中央にある居間の前は、天井が高く吹き抜けの空間に太い梁が見られた。ここは横の窓からの明り取り入れている。さらに細い柱に小さな照明が付いていた。
























トオリニワの奥には「坪庭」があり、赤い花が咲いている木々や灯篭、飛び石などがあった。
























ミセノマには、いろいろな作家さんのさまざまな陶芸作品(皿、湯飲み茶椀、コーヒカップなど)やガラス製品、アクセサリー、木のスプーンなどが数多く並べられていて、お客さんの目を楽しませてくれる。

































また、他に珍しいレコード盤がたくさんあり、最近は若者の人気のジャズやポップス系のものが置いてあるので、ご主人はお客さんが工芸作品より、こちらのレコードを探す人の方が多くなっていると言っていた。



















この近くに「旧金谷町」の標柱があった。「もと今の尾山神社の地あたりにあった。藩の初め、銀座役金屋彦四郎らが居住し、金銀貨を鋳造したのでこの名がつけられ、元和の初め、この地に移されたという。金谷町とも書いた」とあった。
























「森田医院」の駐車場の一角に、かなり年月の経っていると思われる大木と灯篭、石などがある小さな庭が残されていた。藩政期頃からの庭であろうか?
























またその隣には、「パソコン修理店」と「中堀銃砲火薬店」とがつながった店があった。銃砲店は今はほとんどやってないように見えた。




















またさらに歩くと「加賀料理 秋月」という料亭がある。ここには、親戚の法要や孫のお食い初めなどで入ったことがある。料亭は金沢の町の中心にはいくつかあるが、金沢北部方面では、ここぐらいしか知らない。