2021年1月30日土曜日

金石界隈(1)道入寺

 昨年の10月に、以前から行こうと思いながら行けなかった歴史のある金石界隈を歩いたので紹介する。この日は、金石に住んでいる仲間に案内してもらった。

まず金石西3丁目(旧金石下寺町)にある「道入寺」に行った。ここは天台宗のお寺で、開基は金沢の西養寺の僧快恵で1641(寛永18)年酒屋八右衛門が観音堂を建立し、1655(承応4)年せがれの酒屋八右衛門が観音堂を再興するとともに現在地に本堂を建立した。酒屋一族は代々信仰が深く、祖父の法名往繫道入にちなみ、道入寺と号したという。




















本堂の入ると「阿弥陀如来」が祀ってあり、丁寧にお参りした。

その横に、この寺の有名な掛け軸に描かれた「飴買い幽霊」の絵を見せてもらった。この絵は江戸中期の絵師円山応挙が描いたとされる。
言い伝えによると、掛け軸の女性は、出産前に亡くなり導入寺に埋葬された。その後、付近の飴屋に毎晩飴を買いに来る女性が現れ、飴屋の主人が後を追うと、埋葬された墓前で消えた。墓を掘り返すと生後7日ばかりの男児が飴をくわえていた。男児は寺で育てられ、後に7代和尚になったとされる。

さらにその上には、花や動物に波を表した極彩美の彫刻がなされていた。

境内には、手にいろいろなものを持ったいくつかの石仏が並んでいた。



















「鎮護萬孤霊神塔」は金石エリアでは珍しい赤戸室石である。狐の霊を神として崇め鎮護するために建てられたという。天正期から藩政時代にかけて狐と人との関わりを物語る貴重な石造物である。
































宮腰の肝煎や町年寄りなどを歴任した木下家の墓で、北政所の叔父にあたり2代目まで木下姓を名乗ったという。その後「酒屋株」を取得し、本町で醸酒と酒屋を開き「酒屋八衛門」と改名したが、14代が再び木下姓になる。



















はじめは京都相撲で「立田川」と名乗ったが、後に江戸相撲に所属し、湊川の門人として「立田川吉蔵」と名乗る。最高位は前頭5枚目である。
































「道入寺」の隣には、海近くにある火の神様「秋葉神社」の分社の鎮火社がある。神社前に「旧上寺町」の標柱があった。



















またその隣には曹洞宗の「龍源寺」がある。ここは1632(寛永9)年に雪庵盛大和尚を開基とし菊屋宗三郎、金屋儀右衛門の二人が総持寺の末寺として創建したと伝えられている。
雪庵盛大和尚は宗祖道元禅師十八世の法嗣で、愛知の春日井郡雲興寺の住職であったが、請われた宮腰へ移られた。



















さらにその隣の細い路地の両側に、大野は有名だがここ金石にも板下見張りの醤油醸造工場があった。



















表通りには「キッコーヤマナしょうゆ」の看板が掲げられていた。