金石界隈(1)道入寺の続きで、すぐ近くに金石地区で最も大きいと思われる「本龍寺」に行った。細い路地の片側に総延長41mという長い土塀があり、版築工法(板などで囲った部分に上から土を流し込んで突き固める作業を繰り返して強固な土壁を作る方法)により築造されたものだそうだ。石積みや蟇股の形式から江戸末期の築造と推測されている。
山門は棟門形式で、左側に袖塀、右側に袖戸が設けられている。山門は細部の形式が本堂と共通していることから、1798(寛政10)年の建立とされる。
山門左側に「蓮如上人御廟所」と描かれた標柱が建っている。
山門屋根下の垂木と獅子の木鼻など
本龍寺は、1469(文明元)年に富山県礪波市の井波瑞泉寺第四世蓮欽僧都が創建した。その後第五世兼恵法師が本願寺第十二世教如より「本願寺」の寺号と親鸞聖人の御真影を一幅を賜わった。
宮腰には1602(慶長7)年に移ってきた。その時に移ってきた子孫も現在住んでいるという。本堂は火災にあい、その後1798(寛政10)年に越中井波の拝領地大工・柴田清右ヱ門によって再建された。この人は南砺市指定文化財の瑞泉寺の式台門のも手掛けた人である。
蓮如上人の弟子であった道西が蓮如上人と信仰上の問答を記した「道西記」が伝わっている。
本堂内陣前の上に「本龍寺」の扁額が掲げられ「阿弥陀如来」が祀られている。
この寺で特に有名なのは、本堂の欄間には金色の龍が彫られていることである。その上の蟇股の上に獅子や仙人の彫刻がされていて、藩政期の金沢における井波大工の活躍を示す遺構として貴重なものである
この中国の仙人の彫刻の物語について描かれた資料をここの住職から頂いた。例えば「琴高仙人」(きんこうせんにん)は琴の名手で、長寿の仙術を使って800年も生きたといわれるている。ある時「龍の子を捕らえて見せる」と弟子たちに約束して川の中に入り、約束の日に大きな鯉に乗って現れ、人々を感嘆させたと伝えられている。