2019年6月4日火曜日

大乗寺坂 唯念寺(おてらくご) 嫁坂

今回は、本多町にある「唯念寺」で「おてらくご」があるということで、生の落語を見たいと思って見に行った。(5月12日)
出羽町のNTTビルの横にある「大乗寺坂」を下りた。この坂は幾本かの直線を折り曲げて構成した、庭園の池に架かる八つ橋を斜面に並べたような坂である。折れ曲がるごとに踊り場があって、ベンチがあり、一服できるようになっている。また、坂の片側は石垣が積まれている。



















坂の途中に石造物の前に赤い前掛けを付けた小さな地蔵さんが置かれていた。
























坂の途中に表札が掛かった家の裏門と思われるところがあった。階段を降りて行くと自分の家へ行けるようになっているのだろう。ちょっと隠れ家みたいな雰囲気になる。ここからは犀川や寺町台地が一望できるところである。



















400年ほど前の慶長から元禄にかけて、この下に大乗寺があったことから「大乗寺坂」と名前が付いた。幕末のころまでこの坂に沿って町屋が建っていたが、廃藩置県後にほとんど壊されたという。
























この坂の斜度は下り口が五度、途中が十二度、最後が二十度と変化する。また、階段も勾配の違う二つの階段がある。上りやすいほうを使うようになっている。



















ここから県立工業高校の横を通って今日「おてらくご」がある「唯念寺」途中何度か道に迷いながらに行った。お寺に入ると、既に多くの人が集まっていた。「唯念寺」は1592(慶長2)年に寂善法師によって建立された真宗大谷派の寺院だが、1661(寛文元)年に現在地に移転した。本堂には、創建当初からの聖徳太子の木像が安置されているという。

この寺の本堂および内陣は他宗派の建て方になっており、途中で転派したものだと考えられ、由緒書からも違う宗派だったいう。

この日は、最初に皆で「正信偈」の読み上げから始まった。 「正信偈」とは、親鸞聖人が「命のよりどころを頂いたことへの感謝」を私たちに伝えているものだという。
その後にここの住職から法話を聞いた。



















それから、お待ちかねの落語家「笑福亭瓶二」の生の落語を聞いた。私が好んで見ている「家族に乾杯の笑福亭鶴瓶」の弟子だと言っていた。声も大きく、いろいろな動作もうまいもんで、さすがプロだなあと感心した。1時間の落語だったが、聞き入ってしまってあっという間に時間が過ぎた。



















この「おてらくご」は人気があり、一説によると「落語」はお寺における法話の中の「笑い」のエッセンスが発展したともいわれているという。それで落語とお寺は切っても切れない仲だという。
今回は、お寺の本堂いっぱいに人で埋まっていたが、日頃は入れないお寺に入ることができ、寺内を見ることができるよい企画である。




















このお寺の向かいに「嫁坂」がある。なんともほほえましい名前だが、坂の標柱には「
加賀藩初期、坂の上に住んでいた藩の重臣、篠原出羽守が、娘を本庄主馬へ嫁がせる時つけた坂なのでこの名がついた。」とあった。家老の出羽守の娘が出羽町に住んでいたが、足軽屋敷の本庄主馬が聞く側に住んでいたから、嫁入りの行列は小立野から本多町へ降りていたという。
「嫁坂」は寛文年代(1661)以前は細い獣道だったという。そのころは坂に沿って町屋があったらしい。
























近年はこの坂も修景されて、寺町台を望む展望所があり、その後ろには野田山や大乗寺山が望める。 幅は1m50cmくらいの石段で、長さが70mの間に4曲がりもしている。