日光東照宮は、徳川家康の遺言を受けて、1617(元和3)年に二代将軍秀忠が創建した家康の霊廟である。当初は質素な堂だったが、、三代将軍家光が行った「寛永の大造替」で、きらびやかな建物に建て替えられたという。現在の金額で400億円相当の工費が投入され、1年5か月という短期間で完成したという。
この鳥居は1918(元和4)年に九州筑前藩主・黒田長政が奉納。鶴岡八幡宮、京都八坂神社とともに日本三大石鳥居といわれているものである。
その鳥居の横に、1818(文政元)年に再建された立派な五重塔が建っている。
1層に彫られた十二支の動物が方向を表している。入口上部の右に寅は家康公、中央に卯は秀忠公、左に辰は家光公を表している。この三公の性格がそのまま干支に表れているような気がする。
ここの芯柱は耐震耐風を目的として、吊り下げられ10cmくらい浮いた状態となっている。東京スカイツリーにも応用されたものだ。そとから建物の隙間より、浮いている状態が見えた。
「表門」をくぐると目の前には3棟の校倉造りの「三神庫」の建物で、お祭りの道具や御神宝を収納しているという。
下の写真は「中神庫」
「下神庫」。上部に「想像上の象」が刻まれている。狩野探幽が聞いた話だけの資料を下にして下絵を描いたという。実際の象とは耳や尾っぽが異なるユニークなものだ。
その背後には「神厩舎」の建物がある。ここには、真っ白な毛並みの神に仕える神聖な馬を飼育する馬屋である。この建物は1635(寛永12)年に建てられ、日光東照宮で唯一漆が塗られていない素木造りである。
この長押の上に「三猿」が彫刻されているが、これが日光東照宮の中でもひときわ人気のあるものである。陰陽五行思想で、猿は馬の病気から守ると言われ、「神厩舎」に彫刻が施され、8面16匹で猿の一生を描き、人生を物語るという。
下の彫刻の中央が「三猿」で「見ざる、言わざる、聞かざる」という言い回しが有名である。
母子・幼年期・少年期・・・・・・結婚・妊娠そしてまた母子に戻り繰り返す。