西養寺(1)の続きで、ここの境内などを紹介する。境内には、鐘楼と大きな石や灯篭、のぼり旗が立っている。また、苔類が青々としていてきれいだった。
鐘楼は金沢市の指定文化財になっており、入母屋造・桟瓦葺の屋根で軒瓦には「梅鉢紋」が付いていて、前田家との関りを偲ばせる。そして戸室石の基壇に建っている。1851(嘉永4)年建立の棟札があり、山上全之輔吉敏の大工名が描かれている。この鐘楼は北陸の禅宗を代表する数少ない入母屋造、扇垂木の鐘楼として貴重で、金沢の寺院建築を代表する貴重な建造物だという。そして「高台に位置する境内から、鐘の音が卯辰山山麓の町場によく響き渡ったものだ」という。
その横には、非常に高い天神石塔がある。
薬王稲荷大明神
本堂の横には、観音堂・聖天堂・護摩堂を合わせた建物がある。この中に綱を張った柵に囲われた井戸があり、井戸に向かってお参りすると白山に届くといわれている。井戸の水は、白山に通じる霊水の信仰がある。ここの井戸は、前回の奥さんから説明を受けた時に見せてもらった。
藩政期、井戸の縁起を説明する双六が大いに流行ったといわれている。双六は、西養寺を振り出しに、鶴来の日御子( ひのみこ)の“手たたき清水”を参拝し、白山宮を上りとするもので、往時の街道筋の庶民生活に思いをはせることができるという。私はまだ行っていないので、後日、この「白山詣双六」に載っている所を巡りたいと思っている。
ここの境内には、ケヤキ、タブノキ、エノキなどの高木30本、つばき、ひさかき、ツツジなどの低木2160本あり、四季折々に風情豊かな表情を表す樹林は、東山寺院群370余年の歴史を偲ばせるという。
ここには芭蕉門下の宮竹屋小春の墓がある。芭蕉が金沢に来た時にこの宮竹屋に泊まっている。このお墓の近くに、きれいに水仙が咲いていた。
この寺は、もと坂東三十三所の三十二番であったが、、明治の神仏判然令によって三社あった天台宗の常光寺が復職して神職となった時に、十一面観音をこの寺に隠しておいたのがしばらくして発見され、西国三十三番のうちの十九番となった。それでここには、坂東三十二番の聖観音と西国十九番の十一面観音が並んで安置されているという。本堂の裏に西国十三観音像が壮大な感じで並んでいた。
また、その隣に「不動明王」や「釈迦如来」、「文殊菩薩」など十三仏が並んでいた。