2019年3月2日土曜日

大和町広場(1)市民芸術村①

前回の長田町から犀川方向に行くと、大豆田大橋とJR陸橋の間の手前に「大和町広場」がある。この広大な広場は、以前「大和紡績 金沢工場跡地」であったところをである。今日は土曜日で天気がよかったので、子供連れの家族などが思い思いに遊んでいた。



















広場の一角ではシニアの人たちが「ゲートボール」を楽しんでいた。犀川の「上菊橋」上流の河川敷など、金沢市内では何か所かの場所で「 ゲートボール」を定期的にやっているらしい。



















この広場の歴史について「石碑」に刻まれていた。大正時代に「金沢紡績」開業し、1920年代に現在の各工房の元となった倉庫群が建設された。その後合併により「大和紡績金沢工場」となり、最盛期には約2000人の工員が働いていて、「繊維王国石川」の象徴として約八十年間、この地域の紡績発展に貢献したという。しかし、時の流れ(?)により1993年に操業停止となった。すぐに金沢市が買い取り、当時、前山出市長が初めての市長選の時に、私は直にこの場所を「文化・芸術の町 金沢を象徴するゾーンにしたい」といっていたのを聞いたことがある。そして山出市長が中心となって、赤レンガ造りの建物を利用して「演劇・音楽・美術活動」などの練習の場となった。



















私が中学生の時に学校からこの「大和紡績」を工場見学したのを覚えている。すごい臭いがしている中で女子工員たちが多く働いていた。この集団就職できた織姫の当時の思いについて先日の新聞に掲載されていた。



















この「大和町広場」は、約10hにおよぶ広大な敷地に、1996(平成8)年に、市民が演劇や音楽、美術など芸術活動を行える施設「市民芸術村」ができた。。




















この建物は「旧大和紡績」の倉庫の建物を利用しているため、構造は木造で、内部は木架構、外周壁は一部が煉瓦造りだったという。それで現在の建築基準法や消防法に合わないことから、耐震性を高めるために内部は木造架構は鉄骨を補強することや、用途や構造上の特性に合わせて内部のスペースを改修した。また、外観は見た目もよくするため煉瓦造り部分を多くした。



















ここの部分は、右側と左側の煉瓦造りが見た目にも異なるが、右側の煉瓦は元々のものなのか(?)所々にこのように古い建物の持つ力強さ、美しさを生かした元の倉庫をうまく利用している。屋外は、バラバラだった各倉庫を雪国に必要なトルネードで繋ぎ、地下水を利用した屋根雪の消雪装置も設けたという。


































倉庫群の真ん中には、だれでも入れるオープンスペースがあり、階段状の客席があった。天井のほうを見るとその木組みの頑丈さがわかる。また、側面の壁は従来の煉瓦の壁を利用していた。このスペースで、たまにいろいろなグループの発表会があるらしい。



















階段の上のほうに上がると、すぐ近くで天井の木組み方法が間近に見ることができる。




















近くの部屋では、高校生くらいであろうか若いグループが吹奏楽の練習をしていた。街中では出せないが、ここでは思い切り大きな音を出すことができる。