家の中は金沢の典型的な町屋で、以前は「質屋」だったという。奥行きの長い古民家で、一番奥に蔵がある。質屋だった時の「帳簿」が貼られていた。よく見ると、いついつ何々をいくらで仕入れ、いくらで売ったかなどを克明に記されている。
店には、ここでいつも売っているアンティークな器などが並べられていた。
2階に上がると、土の板状の表面に釉薬と他に混ぜたもので青色を付けた水玉を模様にして焼いた、面白いものである。
「紅殻の間」に飾られた作品は幻想的である。
1階の奥は「金沢町屋職人工房」となっていた。ここでは、いつも銅や真鍮板を成型して、いろいろなものを作っている職人の工房となっていて、2,3年前にテレビで放映されているのを見たことがある。
銅板をバーナーで熱して、柔らかくしてから、大まかに成形されたものを型の上に置き、タガネと金槌で少しづつたたいて、さらに細かく成型していく、根気のいる作業である。たたきすぎてしまうとまた一からやり直しというミスのできない作業である。
いろいろな動物の作品が置かれていたが、手足の関節が動かすことができるという子供たちが喜びそうなものだ。今作っていたのは、その動物の体の一部だという。ひとつの動物を仕上げるのに一体どれだけの時間がかかるのだろうか?
作業テーブルには、材料の切れ端や工具や作業に必要なスプレー剤などが置かれていた。
ここで、茶屋街のメイン通りに出ると相変わらず人でごった返している。そして、カフェに入ってコーヒを飲んで一服した。
次に、メイン通りの奥を左に曲がると、石川県のお酒が一同においてあり、試飲もできるという「ひがしやま酒楽」に入った。
お酒を一飲みで飲む「おちょこ」のガラス版で、美しい色線の模様が描かれている作品である。
ここの2階に上がったのは初めてで、鮮やかな「紅殻の間」があったが、以前はここで芸妓の踊りが見られたのであろうか?
「東山菅原神社」では、拝殿で「金沢和傘」の製作の実演がなされていた。この人は、岐阜県から応援で呼ばれたらしく、傘の中央の骨を補強するための糸を結んでいた。
金澤和傘の芯にあるロクロと呼ばれる細かい切込みと穴が開いているところに、笠の骨を1本1本糸で通してつなげていくことにより、開閉できる構造になっている。このろくろは「エゴノキ」という木が一番適しているが、ほとんどが岐阜産だと言っていた。これがないと金澤和傘はできないという重要な部品であるいうことだ。