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今の本堂は昭和50年に鉄筋コンクリートで再建されたものである。江戸時代に建てられている西別院と外観の雰囲気が随分違う。
今日は、中に自由に入ることができたので、本堂の中にはいり、丁寧にお参りした。中央に「阿弥陀如来像」左に「親鸞聖人」、右に「蓮如上人」が安置されており、そのほか「聖徳太子」などの絵も飾られていた。
ここで住職から、東西に分かれた本願寺の話を聞いた。
戦国時代に織田信長が本願寺と戦った「石山合戦」で12年間も戦ったが、攻めきれず1580(天正8)年に本願寺と和解する。しかし、講和を不満とする本願寺派ができ、二つに分かれた。
豊臣秀吉から寄進された浄土真宗本願寺の本山(西本願寺)に12代教如がなったが、秀吉より弟の准如に宗主を譲らされた。その後、教如は家康より京都烏丸6条の地に寄進され東本願寺(大谷派)を建てた。これにより東西の本願寺ができた。すなわち戦国時代の三人の天下人として有名な信長、秀吉、家康が関係していたわけだ。
加賀、能登には大谷派が900ケ寺、本願寺派が100ヶ寺あり、断然大谷派が多い。石川県はそれだけ強硬派が多いということか?
境内にある梵鐘
山門は、かなり古そうなので大火の時には焼けなかったようだ。平成22年に行われた「宗祖親鸞聖人の750回忌の法要」の立札が未だにかかっていたが、よっぽど大きな行事だったのだろう。
山門の左横には「北陸巡礼」をし、布教に努めた「蓮如さん」の石像があった。金沢市内のいくつかにこの石像がある。
久しぶりに「横安江町商店街」に来たが、新幹線開通により金沢駅に近いこともあってか、3年前より少し活気が出てきたようで、新しい店や改装した店もあるようだ。日曜日には「朝市」も開かれている。
昔からある「うどん屋の加登長」や「ユアサ金物店」も頑張っている。