今回は、彦三緑地のツツジが見ごろということで、旧母衣町界隈を歩いた。(5月1日)
新町から小橋方面を歩くと最初の四つ角に土塀をもった屋敷がある。
この辺は、昭和2年に大火があったがここだけは残ったという。200石の侍で新番組御徒小頭を勤めた「野坂邸」という加賀藩士の家である。1830(文政13)に屋敷替えにより現在の家に移り住んだという。建物はそれ以前の文化のころにできたものと推定されるという。、母屋、長屋門、土塀は当時のものだという。長屋門、土塀の役石は戸室石を用いた旧来の玉石積みである。修繕はあったものの旧態をよく残している。
母屋の座敷と仏間の間にある丸窓は、金谷御殿を解体する際にもらい受けたものであるという。(当時、金谷御殿の御用達人だった)現在は金沢市指定保存文化財である。ここの中は、武家屋敷の茶の間、居間、座敷、仏間など特徴をよく残しているということであるが、現在も普通に生活しているので見ることはできない。
「野坂邸」の斜め向かいに以前にも入ったことがある「彦三緑地」がある。ここは、藩政期には1350石の「遠田家」の屋敷であった。
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この日(5月1日)はツツジが見ごろできれいに咲いていた。私はツツジとサツキの違いはよく分からなかったが、開花時期がツツジが4月~5月上旬であるが、サツキは5月~6月ぐらいだという。
深紅のツツジはキリシマツツジか?
「ヤマツツジ」は朱色で一重咲きである。
花びらの中心が濃いピンクで周りが淡いピンク色の「アケボノツツジ」
ピンク色の「コマチ」は、あの美女として名高い「小野小町」にちなむ名前であろう。
そのほか多くの種類のツツジが咲いていた。
その後、旧母衣町を歩き浅野川方向に行くと、右手の紅殻色に町家を改造した2階に「素都」というカフェがあったので、そこに入った。
テーブル席には「ひがし茶屋街」より、静かなこちらのほうが好きだというお客さんが座っていたし、カウンターには近所の常連さんが座っていて、ここのママさんとずっと話をしていた。以前はパーマネントの店だったが、町家を改造してカフェにしたという。
町家を改造するにしても、「行政は外観の1/3だけを助成してくれるが、内装は自分たちでやらなければならない」と言う。行政は古い傷んだ町家の修復を勧めているが、一筋縄ではできないということだ。
本なども並べられており、のんびり本を読んで過ごすのもよい。テーブル席や奥の畳の部屋からは「彦三緑地」のツツジが眺められる。
ちなみにここは、夜には「BAR長屋」となり、雰囲気もがらりと変わるという。