2016年5月15日日曜日

兼六園開園記念日(2) 内橋亭 夕顔亭

兼六園開園記念日(1)の続きで、茶会が終わって、内橋亭の周りを見た。
入口の手前右側に大きな、高さが2mもある寄石灯篭がある。笠とその上にある宝珠、請花には苔むしていて非常に大きい。火袋は赤戸室石で、1m近い竿の部分は虫食い石が使われている。




















内橋亭の玄関前にある、茶会に参加している人たちが置いた苗木が周りにある手水鉢がある。この手水鉢に彫られた5本の棒の形状は、全て5本の棒状であるがそれぞれ形が違う組み合わせの模様で面白い。




















玄関の左側に高さ1.6mの春日灯篭と玄関横にある6畳の部屋がある古い建物があるが、これは昭和40年の改築以前のものか?




















内橋亭の傍らの池端にある「菩提樹」と「ヤマモモ」の古木があり、添景となっている。その横は「親不知」に繋がっている。


























続いて、瓢池にある「夕顔亭」を見に行った。ここの前には、今日(5月7日)の「兼六園開園記念日」を大きく描いた看板が掲げられていた。今日だけは「夕顔亭」前の柵が除かれ茶室の中を見ることができる。


























ここにある「夕顔亭」は、1774(安永3)年に11代藩主前田治脩によって建てられ、蓮池庭にあった4亭の1つで、当時の姿をそのまま残している唯一のものである。そのたたずまいは詫びた茅葺の草庵の趣であり、大名茶室で躙り口がない。





















この茶室は千利休の高弟・古田織部好みの3畳台目、下座床、相伴畳付きで、小間でありながら、本格的な茶の湯を催せるようになっている。
茶室は通常、外景と遮断して閉ざされている空間であるが、ここは滝や池庭を眺め、滝の音に耳を傾けて楽しむという趣向となっている。作庭当時は「滝見之御亭」、「中嶋之茶屋」とも呼ばれていたという。
壁は赤っぽい色で淡いピンク、濃いピンクや淡いオレンジ色となっていた。床の間にはすばらしい書のの掛け軸が掛かっていた。




















回り縁がある前のほうには庇が深く出ていて、木組みが細かくなされていた。




















右手の方には、障子を開き、竹を縦に並べた窓の連子窓からは滝が見え、音も聞こえるようになっている。また外壁の下方には壁土を塗り残して下地の竹材を見せた窓が2つあった。これらは格子越しにあわい光を取り込み薄明り状態を作り出し、厚い土壁でおおわれた茶室を趣のある空間を演出するという。




















この反対側に回ると、4畳半の次の間と奥に水屋の部屋があるが、手前の赤い壁に夕顔の透かし彫りがあった。このことから「夕顔亭」と名前が付けられたという。私はこの透かし彫りを初めて見た。ここの前にいた係員は、透かし彫りの5つの瓢箪と瓢池と6つの瓢箪は「不老長寿」を表現していると言っていた。




















夕顔亭の周辺は露地となっていて、そこに藩政期の金工で有名な後藤程乗(ていじょう)が彫ったという「伯芽断琴」(はくがだんきん)という円柱形の黒い坪野石の手水鉢がある。台石の長方形の御影石との丸と角、黒と白の対比が見ごたえがある。間近で見たのは初めてである。
自らの琴の音を最も理解した友人の死を嘆き、一生琴を奏でないことを誓った名手伯芽の姿が浮き彫りにされているという。




















露地の中央付近にシイの古木があって、樹下に井筒型手水鉢が置かれている。とうとうと水が湧き出る様子からは風流な味わいが感じられる。