今回は、古代の里探訪に参加するということで、集合場所である上安原の金沢市埋蔵文化財センターに行った。遺跡めぐりとウォーキングを兼ねて約40人くらいの人が来ていた。
まず、野々市の御経塚遺跡まで約20分くらい歩いた。
ここは縄文時代の後期に営まれたムラの遺跡で竪穴住居が復元されていた。茅葺の屋根で、中に入ると囲い炉があり、6~7人が住んでいたというがかなり広く感じられた。冬は炉で暖かそうであるが、夏も家の中にすきまがたくさんあるので意外に涼しかったのではと言っていた。
この隣にある野々市ふるさと館に入った。ここには近くからでた出土品が展示されていた。多くの縄文式土器や打製石斧、石やヒスイの玉なども展示されていた。玉には小さな穴が開いていたが、どうやって開けたのかガイドさんに聞いても分からなかった。
御経塚遺跡は縄文時代の生活や文化を知る上で大変貴重であることから、昭和52年に国の史跡に指定された。
次に20分ほど歩くと、東大寺領横江荘 壮家跡に行った。ここは昭和40年代に横江鉄工団地を作るために造成したところいろいろなものが出土したという。
横江荘には正倉院に伝わる文書に東大寺の所有地としてその名が見えるということであるが、奈良、平安時代の遺跡がたくさん残っており、大型の建物、墨書土器、施釉(せゆう)陶器などが出土したという。出土した土器の中に、荘園の管理事務所を示す「三宅」と書かれた墨書土器があったことから、ここは壮家跡と推定されるようになったという。
ここには、発見された建物の柱の位置がきれいに表示されていた。この建物は米の倉庫であったという。石川平野で採れる米を、ここで集めて保管されていたという。そしてこの近くに運河があり、その米を運河を通して、日本海から陸を通って奈良まで運んだのではといわれる。
次に東大寺領横江荘 上荒屋遺跡まで歩いた。ここには荘園の管理事務所、工房跡や船着き場が見つかっているという。この公園には集められた米を検査する管理事務所が復元されていた。
またここで見つかった土器には墨書で「東圧」と書かれたものが多く見つかっている。
また米等を運び出す運河も復元されていた。
いずれにしてもこの近くに古代のものが多く出土しており、三つとも国の史跡になっているが、こんなに近くに三つの国の史跡があるのも全国的に珍しいという。
今度の史跡めぐりは、埋蔵文化財センターとしても初めての試みであるらしく、私としても今までの散歩とは一味違って面白い体験をさせてもらった。
今回の散歩時間3時間、歩数12500歩でした。
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