今回は、浅野川大橋を挟んで主計町の向こう側の橋場町、
並木町を散歩した。
浅野川大橋は藩政期時代には北国街道にあり、交通の要所で
多くの人で賑わっていたらしい。
現在の橋は、大正11(1922)年に市電を走らせるため、橋の幅を広げる
ということで三つアーチ状のかっこいい橋が作られたものである。
「石川歴史館」より
昭和28年の洪水では、浅野川のこの大橋だけが残り、あとは流失した
という。
現在の犀川大橋よりも情緒があって好きな橋である。
平成元年度金沢都市美文化賞の碑が建てられていた。
橋のたもとには、藩政期に金沢に三つあったうちのひとつの火の見櫓
が復元されていた。明治の中期まで実際に存在していたという。
横にアメリカ人が撮ったというその当時の写真があったが、それを基に
復元されたのであろうか。
橋場町の町名の由来は橋のすぐそばにあったからという単純な理由である。
天正年間にはこの辺を「懸作」や「掛作」と呼び、商人が浅野川の河原に
掛作(仮屋)を作って商売をしていたという。
川沿いに少し歩くと飲食店がいくつかあり、ラーメン屋の「若大将」や
割烹の「魚常」などがあった。
何年か前に会社の飲み会で「魚常」に一度入ったことがあるが、浅野川の
夜景を見ながら飲むのも風情があってよかった。
そういえば5年位前に水害があり、この付近の家は軒並み浸水した。
川の前の水門が開いていて、門の鍵がなかなか見つからなかったとかで
被害が大きくなったということで、県と近所の人たちで賠償問題で長く
もめていたが、最近決着が付いたらしい。
行政の防災対策のハード、ソフト面ともしっかりしたものにしてもらいたいものだ。
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