2021年11月13日土曜日

オールドノリタケ展

 今回は、県立美術館で「オールドノリタケ展」をやっていたので、妻が見たいということで見に行った。今回は珍しく作品はカメラOKだった。

























オールドノリタケの始まりは明治前期で、当時欧米各国で万国博覧会が催され、日本など異国の関心が高まりを見せていた。そのような中で明治政府の殖産興業の方針により生産が強化されたのが、輸出用の陶磁器である。オールドノリタケが製造されたものこの時期だったが、他の輸出陶磁器と他の輸出陶磁器と違うのは、政府の援助をうけることなく独自の海外販売拠点を築いたのが民間企業であるノリタケの祖・森村市左衛門と豊の兄弟によるものだという。
1876(明治9)年に市左衛門と豊は東京・銀座に「森村組」を創設した。当初は瀬戸などから素地を仕入れて東京・名古屋・京都の絵付け工場で装飾を施す方法をとっていた。その後、絵付け工場は名古屋に集結され、1937(明治37)年には現在のノリタケカンパニーリミテド本社がある場所に「日本陶器」が設立された。



















オールドノリタケは動植物や人物、風景など数えきれないほどのモチーフを持っていたという。その創作に大きな影響を与えたのが大倉孫兵衛である。1893(明治26)年大倉はシカゴ万国博覧会で目にしたものが、輝くような白い素地に流麗な絵付けを施した西欧の陶磁器であった。違いを感じた大倉は意匠を改めるべく現地で鉛筆や絵の具などの道具類や見本を買い付け、専属の絵付け工場の画工たちに画風の転換を要請した。つまり森村組の製品は他社に先駆けて、洋風の絵柄、装飾文様、構図、色彩などを取り入れて洋風画へと転換した。これにより西洋風の花鳥や人物・風景などのモチーフが器を彩り始めた。





































































オールドノリタケに描かれた風景には、オランダ画家からの影響が指摘されている。西洋の風景であれ、中東の風景であれ、景色のほとんどに水が描かれていることである。

































森村組や日本陶器の主な顧客はアメリカ人だったが、時間的、文化的に遠いものへのあこがれがあり、彼らにとって東洋の国のほかに、オランダ、いにしえのエジプトやギリシャ、さらに自分の住むアメリカの先住民も対象であったという。こういう異国趣味をモチーフとするの作品も手掛けた。


































アールヌーボーとは、19世紀末から20世紀初頭にフランスから始まり、装飾芸術から絵画や建築まであらゆる分野に波及してヨーロッパから日本まで席巻したスタイルである。
ここでの作品には、花や昆虫などの自然のモチーフ、しなるような曲線の多用といったアールヌーボーの典型的な特徴を見せている。金やエナメルによる多彩な技法を組み合わせた華麗な表現がオールドノリタケ式アールヌーボーの一つの特徴であるという。