今年も、フードピア 町家周遊ツアーに参加した。今回は材木町界隈ツアーで、橋場町の「大樋美術館」に集合した。コロナ禍でもあり参加者は限定されていて8人だった。講師は金沢町家研究会事務局で金沢美大の坂本教授である。
「大樋美術館」の新しい玄関横の古い建物は、1860(万延元年)年で「旧森快安邸・医師・禄高200石」のもので、塀と屋敷の入り口がほとんどくっついているが、道を広げたときに塀を下げたのであろうか?大屋根の下に「大樋長左衛門」の看板が掲げられている。
寛文年間の金沢の絵図を見ながら歩いた。この辺りは東内外惣構えがある所である。
藩政期からある材木町通りには、古い町家がまだかなり残っているところである。最初に見たのが「高町家」つまり2階部分が高い町家である。軒下に出桁の下と腕木がある。他に隣からの延焼を防止する袖壁や店先の強い日差しや風雪を避けるサガリがついているのが特徴である。
また、1階の屋根の上に「土いた瓦」というものがあるが、雪の積もるのを防止するためだと聞いた。ここは鱗状の文様になっているが、ほかにもいろいろな文様があるらしい。
こちらは大きな近代和風住宅で、二つの入り口を持ち、よく見ると片方の門の屋根は銅板の上に瓦屋根が載っているし、右側には高い蔵もある。
「アズマダチ」の大きな漆喰の白壁に梁や束、貫を表し、格子の模様を構成している。江戸時代はもっと低く緩い勾配の屋根だったのが、明治になって2階にも部屋を作り、高くなり勾配がきつくなったと思われる。現在もここで普通に住まわれているので、残念ながら中の部屋などを見ることができなかった。
門構えの松は見られなかったが、庭には実のなる木が植えられているという。以前見たときは土塀がだいぶ痛んでいたが、今はすっかりきれいに補修されていたし、金沢の風物詩の「薦がけ」がなされていた。
続いて東内惣構え掘りの近くに「ディキシット邸」の建物を見た。ここは、外国人夫婦が60歳を超えてから、金沢の町並みにほれ込み、空き家だった町家を買って改修し住んでいるという。外観は非常にきれいで雰囲気がある建物である。